わかり合うという幻想
吉田エリ
人は、日常、無意識に思考しています。
あまりにも、自動的に思考しているので、思考していることを自覚できない程です。 だから、瞑想のように思考しない行為がとても難しく感じられるのでしょう。
しかし、その思考が自分を不安にさせたり、欲求不満にさせる原因だとしたら、どうでしょうか?
春から継続しているコミュニケーションをテーマにした講座「アートオブダイアローグ」のワークショップでは、思考する人間同士、どのようにコミュニケートするのか?という問いについて探究を続けています。
これまで、デヴィッド・ボームのダイアローグや、ケネス・J・ガーゲンの社会構成主義の理論を基に、実践の対話に取り組みましたが、夏期の合宿では、新たに哲学者 リチャード・ローティの「解り合えない世界で共に生きる」という考え方に触れて行きました。
そもそも、解り合えることを目的にすると、コミュニケーションは不調に終わる可能性が高いと言えます。
なぜなら、真理や答えが1つだと多くの人は思いこみますが、まったく違うソース(価値感や観念)を持った人同士が、意志の疎通を叶えることは不可能に見えるからこそ、ローティは、前述の解り合えない世界と称したのかもしれません。
その話を講座の中でした時、参加者の一人が尋ねました。
「わかり合えないのだとしたら、なぜ対話をする必要があるのでしょう?」
なるほど、そう思うのもうなずけます。
小児精神科医Dウィニコット(英: Donald Woods Winnicott、1896年4月7日 - 1971年1月28日)が、子供が他者と関わるために必要なのは、他者が実在する存在なのだと理解することだと考えました。
つまり、意見が異なる他者がいると解れば、話し合うか戦うしかありません。ここから対話に必要性が生まれます。
「わかり合えないからこそ対話する」という彼の持論は、哲学者ローティやボーム、ガーゲンの概念と重なることが多く、ウィニコットの提唱した遊戯と子供の自我の成長の関係を紐解くと、表現アートセラピーの基礎と深い繋がりがあることも興味深い点でした。
次回は、もう少し深くその内容に触れながら、人と人が関わることの大切さ、コミュニケーションの本質についてお話したいと思います。
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【新月LIVE】今回のテーマ「人と人が関わることの大切さ、コミュニケーションの本質について」 - 2026年9月11日(金)20:00〜 |