心について
人には心が在ることは誰もが認めていることですが、心は人間の身体のどこに在ると思いますか?そして、その心や思考は私たち自身なのでしょうか?
心について考えるようになったのは、人間が悩みや苦しみを感じはじめた時からかもしれません。なぜ、人は悩むのでしょうか?人それぞれ、悩む事柄は千差万別ですが、共通することは、心が一つの事柄に捕らわれてしまうということ。
怖れや、不安、嫌悪する気持ちの状態をもたらす「考え」から意識をそらせないために、だんだんと気持ちが落ち込んでしまうことも・・。心の病気は様々なパターンがありますが、それぞれ原因なども特定されていたとしても、なおその苦しみから解放されることは少ないのです。
大脳生理学が発展し、心理学が今のような形になったのはおよそ、18世紀ごろのことですが、さらに時間をさかのぼり紀元前の時代から、哲学や心についての学問についての探求は行われていました。おそらく、その時代の人間の持つ悩みと、現代人の悩みはさほど、異なるものではないのかも知れません。
東洋では、仏陀がこの生老病死苦について、答えを求め悟りを開きました。そして、苦しみや悩みから解放されるために、自分自身の心を見つめるという道を説きました。ただ、宗教や心理学、そして古代の叡智はそんな悩みから逃れるために、様々な知識や知恵を示してくれています。
それぞれの方法やアイデアがどこかしら、共通する要素を持っていることも興味深いところです。 それでも、人間は昔から、変わらずに生きる意味を失い、心の病から解放されることはありませんでした。それは、悩みの原因や方法が解っても、どうしても自分にその処方を施すことができない状態に陥っているからなのです。
深く考えたり悩むことを、好きで選択しているのであれば、仕方ないことですが、それが苦しみとなり、捕らわれた気持ちを持って生きることはつらいことです。そんな不安な心のより所として、人間は宗教や心理学、精神世界に答えや助けを求めるようになりました。それらの学問や教義の神髄にあるものは、どこか共通しているように、心の内側を探求することを薦めています。
その心の探究について、簡単にご説明しましょう。
トラウマについて
心のしくみとトラウマについて
心には、意識化されている有意識の部分(顕在意識)と、自分では気づけない無意識(潜在意識)の大きく二つに分割されると考えてみてください。通常、私たちは新しい記憶や感情、経験を顕在意識の部分でとらえています。そして、古くなった意識や記憶はやがて、無意識の中に沈んでいきます。同じ新しい経験であっても、自分の意識が辛く感じる事柄に関して、抵抗したり拒絶する気持ちが起こると、すぐさま無意識の中に押し込めてしまったり、有意識が認識しないことを選択する反応が起こったりします。
たとえば、事件や事故などの恐怖体験は、*トラウマという心の傷となって、記憶の底に抑圧されてしまう事があります。そうなると、それはやがて不意な出来事により、自動的に意識化され、再び怖れの感覚を誘発するという状態(フラッシュバック)が起こります。
このように、出来事が引き金となり、心が弱ったりすることで、うつ病などの症状へと移行するケースもよく起こっています。
※トラウマ=心的外傷(しんてきがいしょう)とは、肉体的、精神的に衝撃的なショックを受けたことによるダメージが心の傷となり、その後長い期間癒やされずに残ってしまうこと。 この心の傷が、精神に異常な状態を彦起こすと、心的外傷後ストレス障害(PTSD)となる。
脳とトラウマの関わりについて
脳の構造上からこのトラウマをとらえると人間の経験は以下のように処理されると考えられます。
たとえば、人間が「見る」「聞く」そして「触る」という経験をします。その情報はまず脳の視床下部という部分を通って、さらに辺縁系という箇所へと移動します。辺縁系は情報を判断する機関です。見たものを、イヤな感じ・・と判断するか、良い感覚と判断するか?はこの箇所に蓄積されている過去の情報が基準になります。
イヤな感じは、ネガティブな感情を引き出します。さらに海馬という機関がそれらの情報をそれぞれの感情の引き出しにしまい込みます。これらは、意識的にやる作業ではなく、無意識のレベルのものですから、頭で考えてコントロールできないものなのです。
イヤな感覚達は、さらに、脳の前頭前野という部分に渡った後、それほど怖れなくても良いという判断を辺縁系に伝える作業が行われることから、不快な感覚はやがて収まります。しかし、トラウマとなってしまった出来事は、この辺縁系と海馬の間が遮断されたような状態になり、いつまでも不快な感覚が起こり続ける(忘れられない状況)のだと考えられるそうです。
このように、人間の心・意識は自分のものでありながら、自分でコントロールできないことが沢山起こっています。このことから、バランスを失った意識がもたらす不具合により、悩みや不安が創り出されるのかもしれません。
そして、このトラウマのような心の傷は、体験の悲惨さの度合いに関係なく、様々な形で後遺症として現れます。幼児期のような傷つきやすい時期の体験などは、その可能性が強まる傾向にあるようです。
アダルトチルドレンと共依存
アダルトチルドレンと現代社会
最近、いろいろなメディアで、「アダルト・チルドレン」という言葉を耳にするようになりました。 アダルトチルドレンとは、アルコール依存や虐待のある機能不全家庭の中で育ち、その体験が大人になっても心理的な外傷(トラウマ)として残っている人のことを指します。
原義は「アルコール依存症の親のもとで育ち、成人した人々」を指す言葉(Adult Children of Alcoholics, ACA, ACoA)から現代では通称ACとよばれています。
1970年代、アメリカの社会福祉援助などケースワークの現場の人たちが、自分たちの経験から得た知識で、名づけて呼び始めました。学術的な言葉ではないことから、背景にある社会や現場の状況の変化にともなって、定義が少しずつ変わって来ていることなどを踏まえ、このACについて、ここで少しご紹介していくことにします。
アダルトチルドレンと分類される人たちは、共通する感覚や思考性を持っていることが特徴の一つとしてあげられます。破滅的だったり、完全主義、無意識のうちに対人関係に悪影響を及ぼす行動を起こしてしまうという問題を抱えています。皆共通して、安全な子ども時代を送ることが出来なかった飢餓感から、常に子ども返りをする感覚に陥ってしまいます。
心理的には「見捨てられる不安感」にさいなまれ、常に孤独感を持ち続けることなどから、人間関係において問題を抱える傾向にあります。最近は、このような人間関係で悩む人が増え、自分自身がACであるということを知らずに過ごしているケースもあります。
しかし、このような原因を知ることで、自分自身の生きにくさが、自分のせいではなく、トラウマを解放することで、もう一度人生に希望を見出せるきっかけとなることから、一般の人に向けて書かれた本が増えてきました。
共依存とは
人間関係におけるACの精神的虐待の象徴的特徴として、共依存 (co-dependency) があげられます。典型的な例として、親が強力に子供の精神を支配する行動が、子供の方も支配されたいという特異な感情を生み出し、親も子供も支配し支配されることに奇妙な安心感を見出して、支配を通して相互依存するという現象が起こります。
これは子供にとって支配に反抗するというより、支配を受け入れる方が家庭内で波風を起こさなくて済むため、平穏な環境でいるためのサバイバル手段、防衛手段であると解釈されています。
通常、子供はある年齢に達すると反抗期を迎え、親の支配から脱しようと試みるのが自然な形態なのですが、この相互依存関係が強い場合親子関係は成人してもなお、支配の相互関係という不健全な状態が続く場合があります。
この関係を共依存と呼び、この傾向を持つ人は親の元を離れたあとも、親密な人間関係(夫婦関係)の中で同じような問題を抱える傾向にあります。
インナーチャイルドとは
子供時代に受けたトラウマにより生まれた副人格の一つがインナーチャイルドと呼ばれる存在です。これはトラウマ・サバイバーや、アダルトチルドレンと呼ばれる人たちが同様に持つ傾向として、時間感覚の障害による作用だと考えられます。
幼少期に虐待、抑圧され安心して子供らしい生活を過ごせなかった過去を過ごした事によってできた心の傷は、大人になってからも癒えずに精神に悪影響を与え続けています。
インナーチャイルドを傷ついた子どもの心自体なのだと捉えられているように、彼らは、傷を負った時点で成長を止め、無意識の世界に潜在しつづけています。これは、時間が静止した状態が示す時間感覚の障害として考えられます。
インナーチャイルドの概念は様々なセオリーが存在していますが、交流分析による、自然な子供の自我状態の対局に位置する、適応的子供の自我状態を示すという概念もあります。
副人格は、主人格に対し存在するものなので、主にこの存在自体に気づかない人が多いのかもしれません。
サバイバーやACの心のケアにこのような、アイデンティティーを想定し、ヒーリングを行うことで、心の疾患から解放されるというケースはとても多いとされています。
アートセラピーと心の扉
心の扉を開くとき
心に問題を抱えたとき、それらの原因や解放の鍵が無意識の領域にあるとき、アート表現が意識の扉を開ける効果をもたらすことから、セラピーのツールとなりました。落書きをしたり、身体を動かすという左脳を休ませる行為が自然と、右脳の活性化を促し、やがて無意識が刺激され動き出します。
ただ、むやみにこの扉を開いたことで、抑圧していたものが溢れるという副作用も考慮しないといけないのでは?と考えます。
それには、まず自分自身の無意識とのコンタクトをスムーズにするために、意識と身体をリラックスさせる『グラウンディング』という精神集中法などをステップとして、序除に掘り下げるようにすることなど配慮が必要でしょう。
グラウンディングとは
グランディングとは、意識を身体の中心に向け、エネルギーの通り道が在ることをイメージする集中法です。その道が脚や身体の中心に集まり、やがて地面を通って地球に根ざすイメージを持ちながら、呼吸をすることで意識が身体や大地に繋がるという安定感をもつことができるようになります。