未来のフォース~美術館にもの申す

イタリア「未来派」の美術家・デザイナーであるブルーノ・ムナーリは、近代のデザインに多大な影響を与えた存在として知られている。私がムナーリを身近に知ったのは、子供に絵本の読み聞かせをしていた頃だった。今でも人気がある「スイミー」という絵本の作者のレオ・レオーニと深い親交を持っていたムナーリも、いくつかの絵本を制作している。

その活動は、グラフィックやプロダクトデザインのみならず、テキスタイル、建築デザインから、美術評論や美術教育の分野など幅広い。
私は、絵本よりも彼の著作やアートコンセプトに惹かれ、何冊か彼の著書を愛読していた。デザイナーや美術家としての作品はあるが、その制作の意図や発想がなんとも遊び心があって、思わず笑ってしまうほど面白い。

代表作の「役に立たない機械」という名のモビールや、「短い訪問者のための椅子」(*とても座れないほど傾斜している。笑)など、アートを役に立たない優れものと揶揄するムナーリは、まさに美意識の備わったユーモアの天才だと思う。
晩年のムナーリは、子供の美術教育に熱心だったことも知られており、1985年に来日した際には、「アートとあそぼう」というワークショップを開催している。

彼のワークショップのコンセプトはとても表現アート的だ。創造性とは、どんな人にも潜んでおり、大人も子供も楽しめる自由でボーダーレスなものだと訴えている。私自身、表現アートのワークショップを構成する時に、何度も彼のスピリットにアイデアのヒントをもらった。

その巨匠の日本最大の回顧展「ブルーノ・ムナーリ こどもの心をもちづるけるということ」が、葉山で開催されることを知って心が躍った。

さて、数十年前に本や図録でしかお目にかかれなかった作品とあらためて出会ってみた感想は…。自分でも驚くぐらい醒めていた。(^_^;)

展示されていた作品は、日本初公開のものもあり、回顧展としては特筆するものがあるのだろうけれど、なぜか、拍子抜けしてしまった感がぬぐえない。
お気に入りのスターに会ってみたら、実物はこじんまりしていたという様な…。(笑)いやいや、なんとも失礼な表現なのだけど、初めて本で見た以上の感動が湧かなかったのはなぜだろう?…と、考えてみた。

問題は、作品ではなく、美術館の展示スタイルにあるのではないだろうか?
作品は、実に整然と飾られ、そのコンセプトが並んでいた。シーンとした美術館の空間は、静かに鑑賞する場で、もちろん写真もNG。お行儀の良い日本人たちはみな、大人しくガラス張りのケースにこじんまり収まった小さな作品たちをのぞき込んでいる。ムナーリの作品は、こんな風に飾られて、何か縮こまっているように見えた。

ムナーリが生誕して111年も経っているので、もはやアートというよりアンティーク美術品として手厚く扱われてしまうのは仕方ないかもしれないけれど、そうやってアートを高価なお宝に仕立てる風潮には疑問が残る。これが日本の美術館の有り体だから仕方ないのかもしれないけれど、なんだか面白くない…。

そうだ。「面白くない!!!」…し、
楽しくないし、遊びごころがまったく無い!

私は思った。
ムナーリの偉大さは、その作品にあるのではなく、その在り方や、生き方だったのだなあ…と。

もちろん、巨匠のアイデアスケッチや、作品は貴重だ。
でも、それに触れることも体験することもできなければ、面白さが伝わってこない。

彼は、創造性の面白さや可能性を伝えたくて、ワークショップを開催していたのではないか? そうやって、見る側の人達を体験する場に招き、アートやデザインを知って欲しいと思ったはずだ。
いやいや、アートやデザインは、体験するどころか、自分達の中にそのソースがあることを思い出してほしかったのではないか?

彼が生きていたら、どんな展示を考えただろう?きっと、もっとワクワクするものにしたかったのではないだろうか…。

遊園地の遊具のように、作品を巨大にモデリングして体験型のインスタレーションにして見せたらどうだろう?

展示してある絵本などは、実際に手に取れるほうが楽しい。映像やスライドは、「未来派」の彼にふさわしい見せ方があるのでは?…などと、いろいろ、いろいろ思いめぐらせた。

まあ…、展示の予算や、いろいろあるのでしょうけれど…。でもね、ムナーリのファンであればなお、ムナーリを知らなかった人にとっても、私のように遊び心を期待し、それを体験したいじゃない?

日頃、アートに親交の無い人がアートやデザインに興味を持って親しんでもらうために、日本の美術館には、ぜひともこどもの心をもちつづけてほしい!と申し上げたい(`ε´)

欧米では、アートはもっと身近な存在として親しまれている。写真撮影を(条件つきだけれど)許可している所も多いし、ルーブル美術館では、イーゼルを立ててキャンバスに模写する人もいた。(ずっと昔のことだけどね)
日本では考えられない習慣だとあきらめていたが、昨年、金沢にある21世紀美術館に故ヨーガンレールの「文明の終わり」という展覧会を見に行った時、その印象が変わった。作品はどれも撮影が許されており、中でも見事だったのは大空間に展示されたインスタレーションの美しさだった。

斬新な展示と、大らかな環境の中で体験するアートは、文句なくそのパワーを見せつけてくれた。
その時の感動に味をしめて、その後、富山の美術館や身近に触れることができる中之条のビエンナーレなどを体験して、なんだか日本のアートシーンも変わったのかも…と、勝手に期待をしてしまった矢先のムナーリ展だった。

思えば美術館に対し、こんな風に考えるようになったのは、日本のアートシーンが少しづつだけど変化しているという、微かな実感や可能性を感じているからかもしれない。

ブルーノ・ムナーリのコンセプト。
「こどもの心をもちつづけるということ」

それは、世界に向けてのメッセージにちがいない。

こどもの心は、創造性の力に満ちている。
誰もがその力を思い出したなら、無敵だ。
アートという創造性のフォース(力)は、未来を生き抜くためのエネルギーなのだから。

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