アーティスト症候群
ひさびさにガッツリくる本に出会いました。
面白いという表現が当てはまるのかどうか難しいのですが、いろいろ考えさせられた本です。
タイトルは「アーティスト症候群」。
「なぜ人はアーティストになりたがるのか?」という帯のキャッチに興味をもち、書店で中身も見ずに買ってから、読めずに半年間も放っておいた本でした。
最近、原稿書きに追いまくられて、逃避したい気分になって本棚にある本に手を伸ばしました。そして、最初の数ページ読んだところで、とても気分が悪くなってきて、それから全体をぱらぱらとみて、ため息が出ました。
「どうして中身を確認しないで買ってしまったんだろう・・」
がっかりしたのは、勝手に違った内容を期待していた自分のせいで、別にこの著者が悪いわけではないのですが、あまりに辛辣な表現に、しばらく唖然としてしまいました。
そこで、アマゾンの書評を見に行って、さらに驚きました。
私以上に反応している読者の賛否両論。批判的なもののほうが多かったのですが、そのあまりの書かれようを目にし、著者に同情してしまったぐらいです。(多分、著者もこういう反応は覚悟していたんでしょうけれど)
さらに、ネットサーフィンをしていると、評論家による書評が見つかりました。
その書評によると、なんだかこの本は売れているそうです。(3刷は行っている)そこで、興味を持ち、あらためて全体を読んでみることにしました。
著者は、世間が抱いている「アート」や「アーティスト」に対する捉え方や風潮に一石を投じ、かなり辛口な批評を淡々とした口調で語っています。本人もかつてはアーティスト(彫刻家)で、現在は廃業しているそうです。理由としては、アーティストとしての生きにくさがあったからなのでしょうか・・。
途中、芸能人アーティストへの批判など、歯に衣を着せない書きっぷりに苦笑しながらも読み進めてると、最後に彼女の生い立ちが書かれていました。
「子供の頃、芸術家になりたかった」
そう書かれた一文を読んで、私はなんだか胸がいっぱいになりました。
彼女は、私と同じ年代(1歳違い)で、多分似たような時代を生きてきたのでしょう。
私自身がアーティストを志す以前にそれを諦めてしまった80年代、彼女はそうとう困難な状況の中、奮闘して来た様子が伝わってきます。 彫刻という分野を選らんだのも、きっとそんな彼女の資質のようなものを反映したのかもしれない、などと想像したのは、廃業してから文筆業に転換してからも、彼女の文体は何かと戦い、抗っているような感じがするからなのです。
彼女は、本の中で、真のアーティストとはほど遠い輩が、社会から認められ自らアーティストと名乗ることの滑稽さについて、いろんな人を例に挙げて論じているのですが、私なりにここで、アーティストとは何か?という点について、改めて考えたくなりました。
私にとってのアートは、もはや表現アートを除いて考えることは難しくなっています。
私自身、アーティスト志望の美術学生だった生い立ちを経て、いつしか生活に追われるまま、アートから離れてしまった経験の中で、表現アートと出会いました。
そこで、出会ったのは、アートとは別世界に生きる、表現者たちの純粋な生き様でした。
ずっと絵が描きたくて、描くことを怖れていた人が、たどたどしく描く絵。見る人によっては、ただのらく描きのような絵に映るかもしれません。
それでも、なんとか自分自身を取り戻して行きたくて、もがき生きる彼らの姿は、真の表現者として、私の目には映るのです。
以前にご紹介した「Beautiful Losers」のアーティストの言葉をここで思い出しました。
「自分を表現するのは、自分しかいない」
「プロのアーティストなんて居ない、表現する奴はすべてアーティストなんだ」
誰が何を主張しようと、それはその人の表現です。
もちろん、それを目にして、気にくわないと思う人もいるはず。
でも、私たちすべての人間は、自分の居場所を探しながら、自分を主張しながら、もしくは、主張したくて生きているのだということを思い知るのです。
私もその著者にしても然り。(彼女も本を通して、表現したかったのでしょう)
そんなことを考えていたら、彼女が本の中でどんな表現をしようと、それは彼女のスタイルなのだと思えるようにました。
この本の持つ、共感できる部分、出来ない部分が見事に真っ二つの表現と言う部分が、妙にガッツリ来たのかもしれません。
アーティストやアートはただの枠組みでしかありません。
誰かが、誰かを、何かを、ある言葉で呼ぶとき、レッテル(名札)が貼られます。作品は、その人の言葉であり、レッテルはその人自体ではありません。
著者の言葉に「遅まきながらアートの水流から外れて生きる」という表現がありました。
私はといえば、早々にアートのメインストリームから外れ、いわゆる負け犬のような気分で、その流れる先を表現アートに求めたのですが、そこで知ったのは、表現することに本流も支流も無いのだという本物の感動。それは、言わば予期しなかった豪華なおまけでした。
私が本流にさえ近づけず、支流のその先に行く道筋の中、一つだけ望んだことがありました。
これから先、どんな仕事ができるかわからないけれど、望むことは
「アートの身近に居たい」
それだけでした。
今は、それが叶い、その時に願った以上のおまけを感じながら生きている今日この頃です。