ミッドエイジチャイルド〜肥大化したエゴとの戦い
前述のテーマだった、ミドル・パッセージというの本の中に、お馴染みの「インナーチャイルド」が登場します。
人生の途上で起こるアイデンティティの喪失の原因は、子供時代の傷によるものだとするジェームス・ホリスの言葉にあるように、人生を生き抜くためには、このインナーチャイルドとの関係を見直すことが重要な鍵なのかもしれません。
大人の仮面をかぶった子供は、自分がインナーチャイルドそのものだということを気づかず、人生の荒波の中で戦いつづけているのです。
子供なので当然疲れ果てて、ついには心も身体もボロボロになってしまいます。
多くの人がインナーチャイルドの問題を抱え、苦しむのはこのためです。
人は、自分の傷を癒してもらうために、子供としての欲求を叶えてくれる投影としての誰かを捜し求めます。
優しいパートナーや理解してくれる友人。
ネガティブな自分を受け止めてくれる親的な存在を求め、人間関係を彷徨います。
恋人が出来たとき、多くの人が運命の出会いなのだという幻想を抱きます。
つまりその関係にあらゆる想いを投影してしまうのです。
さて、運命の誰かは、自分のネガティブチャイルドを永遠に守ってくれるでしょうか?
残念ながら、たぶんすべてのケースでこの願いは叶えられません。
それはこんな理由があるからです。
宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の映画の中に、「坊」という赤い腹掛けをした巨大な赤ちゃんが登場します。この子は、まるでネガティブチャイルドを絵に描いたような性格を持ち、印象的だったのは、天井まで届くほどの身体の大きさでした。
ネガティブ・チャイルドは、この赤ん坊にそっくりで、自分の欲求を受け入れてもらうと同時に、どんどん大きくなって行くのです。わがままの成長は天井知らず。
ネガティブチャイルドはエゴの餌をどんどんをむさぼり、どこまでも成長しつづける存在なのです。それを受け止めてくれる心優しい大人など、この現世には存在しないのです。
もしも、存在したとしても、それは犠牲者として、ただひたすら尽くすための役割を担った人だけです。
しかし、皮肉なもので、肥大したネガティブチャイルドは、この犠牲者のことが最初から気に食わないのです。はじめは良いのですが、だんだんと欲求が満たされない不満をぶつけ始めます。
最後に犠牲者が荷物を負いきれず、降参するや否や、期待を裏切られた怒りをぶつけます。
これは、境界線の問題を抱えているからなのです。境界線とは、いわばアイデンティティーを象るガイドラインのような印のことを指しますが、ネガティブチャイルドは、境界線の意味がわかりません。
自分自身も境界への理解が乏しく、なるべく境界線の無い人(犠牲者)を探し、関係を持とうとします。とりわけ、やさしそうで親切な人がこれに当たるのですが、その人が境界線を持っていることを知ると大変がっかりします。
それは他者が在りのまま(ネガティブ)の自分を引き受けてくれなかった悔しさを経験しているのですが、考えて見るとおかしな話です。
自分自身が、在りのままの自分を受け入れ、愛することが出来ずにいながら、その自分を在りのままに受け入れることを期待することは無理な話だと思うのだけど…。苦笑
自分が自分を抱擁することが、インナーチャイルドと繋がるゴールなのですが、それから逃げていてはプロセスが達成されるまでには長い道のりを歩かざる終えないでしょう。
そのことに気づいた人は、はじめて自分のチャイルドと和解できるチャンスを手にします。
まずは、自分の感情について責任を持つことから、それはスタートします。
多くの人が困難に感じるのは、ネガティブな感情とのつきあい方です。
自分の中に生まれた感情を押さえ込むことは良くないアイデアなのですが、しかし、やみくもに発散することが解決の方法ではないようです。
大切なのは、自分の中に自分を受け止める大人の自分を創り出すことなのです。
自分のネガティブな感情の責任をとってくれる人を、他者に求めるかぎり、この心優しき大人を自分の中に創造することは不可能でしょう。
大人の自分がはじめて、自分の感情を受け止め、その処理につきあってくれることで、インナーチャイルドはかわいい愛らしさを取り戻すことができます。
人もミッドエイジにささしかかると、理想のパートナーの存在自体が幻想なのだと、うすうす気づきはじめます。それは、ある意味絶望する瞬間なのですが、「ミドルパッセージ」の著者パリスの言葉を借りれば、それは自己再生の最大のチャンスなのです。
最悪なシナリオを選ぶ人は、理想のパートナーを失った心の痛みを、自分の子供に背負わせるのです。
さて、、そのシナリオのエンディングはいかなるものでしょうか?
まずは、自分を本当の意味の大人へと成長させてください。
その大人は、インナーチャイルドの世話人でもあります。
インナーチャイルドが生まれた原因は、もしかしたら、あまり親切ではなかった親達の言動だったのかもしれません。しかし、彼らを自分自身の心の中に存在させたのは、まぎれもない自分自身なのです。
誰が悪いのでもありません。
ただ、必要なことだけに目を向けてみましょう。
傷が痛むのであれば、それを自ら癒すことを決心してください。
未来に光を見いだしたいのであれば、ぜひ上を見上げてください。
それが出来ない自分を責めることは、役に立ちますか?
出来ない歯がゆさを、怒りを誰かにぶつけたとしたら、心が軽くなるでしょうか?
出来ない理由を永遠と探し、言い訳だけを綴った人生のシナリオを書き直す時はいつでしょう?
それはあなたが決めることができるのです。
もしも、あなたが望めば、たった今がその時です。