鎮魂〜西国アート体験の旅〜Vol.2
石に魂が宿る。
そんな理をいつしか信じるようになって、石に対するつきあい方が変わってきたように思います。石と言っても、その種類は河原の石からダイヤモンドまで幅広く、人間が付加した価値も様々です。
そして私はその世界についてまったく詳しくはないのですが、石の種類や価値よりも、その石が置かれている場所が気になって仕方なく、お土産代わりに拾った石達は何よりの旅の記念となっていました。
でも、いつからか、勝手に石を拾ってくるのをためらうようになったのは、石にまつわる不穏なエピソードがきっかけでした。
造形作家が石彫に使う石を河原から採取しているうちに、若くして交通事故で亡くなったり、大病を患う人、破産してしまった人…と、一人や二人ではありませんでした。元来、迷信を信じる質ではなかったのですが、さすがに「何のシンクロだろう?」と不安に思い、むやみに石を拾ってくることをやめるようになりました。
それでも、石は私にとって、魅力的なモチーフでした。
海外に出かけても、持ち帰りたいと思うのは、河原で見つけた美しい紋様の小石だったり、その土地を訪れた印としてなぜか石が気になってしまうのです。
もう10年以上前のことです。
奈良県にある、丹生川上神社上社がダム建設のために水没することとなり、その鎮魂祭が行わることになりました。吉野の丹生川上神社上社は、遺跡発掘調査によれば縄文時代初期に遡る歴史を持つ聖地にありました。
1965年からはじまった大滝ダム建設に伴い、神社は標高の高い現在の場所に移築、社殿も新しく建て替えられています。鎮魂祭は旧社殿があった跡地の河原で行われることとなり、縁あって私はそのイベントの演出の手伝いのために、現地に出向くことになりました。
荘厳な祭りが終わり、私は丹生川上神社上社の跡地となった河原を後にするとき、おそらく1万年に渡る日本の歴史を見届けてきた聖地が、まもなく人の手に触れることができないダムの底に沈むことを思うと、妙に悔しい思いと寂しさをぬぐいきれず、「三つだけ…」と龍神様に拝むようにしながら、河原の小石を拾って来てしまいました。
そのことが、その後の自分の人生にどんな風に影響してきたのか、私には計り知れませんが、その後も石にまつわる様々なエピソードは、私の石に対する畏敬の念を深めるような体験となりました。
石にまつわる思い出とえいば、四国へイサム・ノグチの美術館を訪れた旅のこと。
イサム・ノグチは、世界的にその名を知られた彫刻家ですが、インダストリアル・デザイナ−、造園家、舞台芸術家としても有名で数多くの作品を残しています。
やはりそんな中で、最も心惹かれるのは、彼の石彫の持つ静寂の美。
<エナジーヴォイド>という名の彼の代表作を東京都現代美術館で見たときに感じた、巨大な魂と出会ったような感覚は忘れられません。
そして、いつか四国にある庭園美術館に棲んでいる<彼>を見てみたいと思いつづけ、関西での仕事の帰りに念願の地を訪れることを計画したのでした。
イサム・ノグチの作品群が所蔵されている庭園美術館は四国の牟礼という所にあります。牟礼は400年の歴史を誇る日本でも有数の石の産地。そして牟礼のある四国香川は石を刻む者にとっては聖地といわれているそうです。その地に導かれるまま、ノグチはこの地に自身の母の菩提を弔うことにしたのでしょう。
イサム・ノグチの庭園美術館のことを知ってから何年もの間、いつか訪れてみたいと願っていたのですが、なかなか機会を得られずにいたのですが、ようやくその時がやってきました。美術館は、週の内たったの4日間しか開館しておらず、入館するためにははがきでの予約が必要だったり。スケジュールを調整し、予約をとりつけ、晴れてその日となったのですが…。
四国にフェリーで到着し、車を飛ばして牟礼に辿り着くと、当初の予定を反して既に夕暮れが迫っていました。脱兎のごとく美術館の駐車場から入り口までしばらくある道をひた走り、ようやく美術館に到着したのは閉館5分前…。
庭園には、ノグチが生前に過ごした家屋やアトリエ、作業場があり、その一部が公開されていました。
私はゆっくり見て歩きたい気持を押さえて、目的のものを探しに園内を走って行きました。
彼のエナジーヴォイドと再会するために。
生前、ノグチはこのエナジーヴォイドを設営するための古民家を日本全国に探し求めていたそうです。そして見つけた家屋は神殿のような古い蔵でした。
その巨大な石彫は高さ約3.6m重さ17トン。途方もない大きさで圧倒的な威厳と存在感で蔵の中の暗がりに佇んでいたのです。
私は薄暗い蔵の中で、塊を見るために眼を凝らしていました。
その時、蔵の西側の戸がゆっくりときしむ音と共に開きました。
薄暗い屋内を照らすために美術館の方が戸を開いてくれたのです。
閉館間際に訪れた私達への配慮だったのでしょう。戸を開けると、彼女は「どうぞ、ごゆっくり」というと、部屋の奥へと下がって行きました。
開け放たれた戸の隙間から差し込んだ夕日の光が暗がりの中で潜むその石を照らしていました。
それはまるで、ご神体が姿を現した瞬間のような荘厳なる光景でした。
自然と手は拝み、ただ祈ることしかできませんでした。
私はその姿を見たとき、ようやく石に対し敬意を払う意味が解りました。
石は地球の身体の一部であること。
私達人はその肉をむやみに扱ってはいけないこと。
「石を割るのは悪い。自然を壊すことだから。いつも信心するというか、きちっと石に向かっていないといけない」
牟礼の地で25年間、イサム・ノグチの制作に協力していた和泉正敏さんの言葉がつい最近読んだ雑誌の中にありました。
やはり石に携わる人は、石を敬う人なのだと、そのコメントを見て思いました。
クリスタルや、ターコイス。
エメラルドにダイアモンド。
様々な石がありますが、私はなぜか河原に置かれた石に心惹かれます。
それらは何の価値もついていないのに、一つ一つが自然の精霊と対話しながら生きているような気がするからなのです。
私達は人間という皮をかぶった魂だとしたら、同じ魂がやどる自然界のすべてのものと同等なのだと思えてきます。
石にまつわる話はまだあります。
今年の夏の終わり、ネイティブ・アメリカンの伝統的なセレモニーの1つでもある<スウェットロッジ>を体験するため、二年ぶりに関西の地を訪れました。
ドーム型のロッジの中に赤々と焼かれた石が持ち込まれ、それにセージや杉などの葉を浸した水をふりかけた熱い蒸気の中で祈り、歌いながら時間を過ごすことで、心や身体が浄化されるこの儀式は、全米のインディアン部族が行ってきた重要な儀式です。
そして、ドーム型のロッジは、人間の子宮のシンボルなのです。
その子宮の中で、赤々と燃える石を見つめていると、(その暑さは、サウナを上回るほどの熱気です)地球の子宮に抱かれているマグマと一緒に、生まれる瞬間を心待ちにする胎児の記憶を追体験しているようです。
燃える石は、まるで呼吸しているようでした。
そして、私はその熱気の中で、自分の中に残っている怖れをすべて灼きつくしてほしいと願いながら、呼吸していました。
やがて、私の中にある怖れは、祈りとともに昇華していき、ロッジから外へ出ると、夜明けの陽が迎えてくれているようでした。
怖れは、灼けた石の魂と供に静まって行ったのです。
浄化と再生の時という貴重な体験となったスウェットロッジのセレモニーを終え、その足でもう一度、四国の牟礼に向かいました。
再びイサムノグチの石に逢うために。
かの「エナジーヴォイド」は、変わらぬ姿で晩夏の日差しの中に佇んでいました。イサムが手がけた石の作品たちは、大半が未完成のまま、主を失い、その空白の時を刻んでいるようです。
彼らは、鎮魂という使命を担い、あらゆる思いを内在させ、ただ自然の中に置かれ、風化しながら時を見つめる存在なのかもしれません。
時に、死者とともに、時に生の誕生と供に。
そんな石たちと、過ごすことができたこの夏のことを、
恐らくずっと忘れることはないでしょう。
■関連記事