目覚める惑星(前編)

羽織っているものをすべて置いてくれば良かったと悔やむほど、真冬というのに久高に渡る船の上で感じた日差しはカラカラと熱く…。
おととし、はじめて島に向かう日の暑さや、今は逢わなくなった人たちのことをぼんやりと思い出していました。「どうして、今更私だけ戻って来たんだろう?」そんな後ろ向きな問いが頭をかすめ、訪れることになった意味を無理矢理見つけようとしながら、私は再び久高島の地に降り立ちました。

沖縄本島の東南に浮かぶ神の島と名高い久高島は、かつての琉球王国時代を神事の奉事を司っていた聖域でした。
表現アートセラピー画像2中でも最大の祀りとされていた、「イザイホー」は、12年に一度の午年11月15日から4日間執り行われていましたが、私たちが訪れた新年の松飾りも取れない1月5日は、この旧暦の11月15日に当たることから、久高ではイザイホーに纏わるあらゆる歴史や人々の思いが交叉する目に見えない慌ただしさに包まれていました。
後継者不足という理由から30年以上途絶えている祀りの再開を企てる人や惜しむ人、秘儀が失われることへの危惧。たぶん、内地からやってきた私達には量ることができない歴史や思いが混在するのでしょうが、よそ者の私に何かを論じる資格などありません。
ただ自分の人生の中で起こっていたことと、この島のその不思議な儀式とどのような関わりがあったのか、無いのか。そんな答えの無い問いを胸に抱きながら、再びこの地に渡ったのです。

表現アートセラピー画像3そもそも、琉球の歴史どころか、沖縄や久高島に対する知識や興味もあまりなかった数年前に、ある人から「あなたは久高に行かなくては…」という啓示的な示唆を受けてから、過去世で縁があったという「イザイホー」の儀式のことを知り、次第に久高への思いや熱が高まっていったのでした。
そして一昨年の11月、あらゆる困難な状況を押して、久高でワークショップを決行することになったのです。
無事にワークも終わり、結果オーライとなるのかもしれませんが、水面下ではあらゆるエネルギーが横行していたのでしょう。久高後の人生は、それまでとは思いもよらない方向へと向かって来たのは確かでした。

2013年の久高島でのワークショップ以来、いつかまた戻らなけばならないという不思議な義務感はこの数年ついて回りました。

表現アートセラピー画像3「もう久高でワークをしてはいけない」という助言もなぜかただ素直に捉えることができず、1年先の滞在先の予約までしまったほど、還らなければならない(終えなければならない)何かがあるような気がしていました。

「意味はわからなくても、1月5日の日に来れば何か解るかもしれない」そんな直感ともつかない想いに駆られた旅だったのです。

本来ならこの島にとって最大の行事が行われている時期。
こんな季節外れの時期に、島にはいつもより訪れる人が多いことも、何か行事に纏わる影響でしょうか?島には至ところに防犯パトロールカーが走り回り、厳しい目つきの島民とすれ違いました。

そんな不穏な空気とはうらはらに、久しぶりに訪れた民宿の女主人は、あの時と何も変わらない笑顔で迎えてくれました。

表現アートセラピー画像3あとは、いつも通りノープランの久高です。
ここに来ると、何も予定を決めず、ただ行き当たりばったり歩くだけしかありません。私に何か目的があるはずも無いのです。ただ、あの時に歩いた道を何も考えずなぞるように辿りました。

「浜から満月が上がってくるよ…」私は誘われるままイシキ浜へ向かいました。
辿り着いた浜は夕方になり陽も落ちると急に冬の寒さが舞い戻ったばかりでなく、空には雲も立ちこめて来て月は臨めそうもありません。
期待しすぎて失望したくない私は「今日はもう月は無理かもしれないね」そうつぶやいたとたん、海の上に夕日のような光が見えはじめました。この方向はたしか東だから、夕日が見えるはずがありません。

表現アートセラピー画像4「月だ!」誰かが声をあげました。

立ちこめていた雲が途切れ、そこには見たことがないほど赤く光る美しい惑星が現れたのです。
まるで朝日と見紛うばかり強い光は神々しい光を放っていました。

イザイホーの夜を照らす久高の満月。
赤々と燃える陽のような月は、雲間からゆらゆらとあぶり出されるように顔を見せ始めました。

満月には、解放をサポートするエネルギーが宿っているといいます。
手放したいものがあれば、このエネルギーにゆだねると良いのです。
そんなことをいつも人に伝えながら、自分はこの時自分が何を手放したらいいのか解らず、ただこれまでの月日にことを想っていました。

表現アートセラピー画像5あまりに唐突に奇妙な月と出くわしたことで、度肝を抜かれて祈りも忘れてしまったのかもしれません。

「私が間違っていたのなら、私の罪をもっていってください」
「私の心の痛みをあなたはわかってくれるはず…」

そんな無粋なことを願い、祈るのも忘れ、美しい月に見入っていました。

久高の魔法にかかった私達は、いつもよりも早く寝入り、いつもよりも早く目覚めました。
「もう此処へいつ来られるか解らない…」そんな思いもあり、恒例の朝日を見るために同じイシキ浜へ急ぎました。天気予報では雨だったので半ばあきらめつつ、私は朝の瞑想を始めました。
30分もしないうちに、ふと瞼に光を感じ目を開けると、夕べ月が居た場所に今度は太陽が同じ雲間から現れたのです。

表現アートセラピー画像6久高といえども、さすがに真冬。海岸に風に吹かれたまま何時間も座っていたら、さぞかし身体が冷えるだろうと思っていたけれど、思いの外この島の風は優しく暖かいものでした。新月の日に座った夜や、星の中みんなでタチ浜で瞑想した夜と同じ、懐かしい風が吹いていました。

風に吹かれ、その時のことを思い出したとき、思いがけないシンクロが起こっていることに気がつきました。

特別に自分で日にちを決めたわけではありませんでしたが、初めて久高に訪れた時が新月の夜、再び訪れた昨夜は満月でした。
すべてのものが満ちて此処にやってきたような気がしました。

何かが始まり、満ちて終わっていくような流を感じました。
ただ、私には何が満ちて何が叶っていったのか、何を手放したらいいのか、まだ解らずにいたのです。

表現アートセラピー画像7浜で自分の心の中に響いていた声は、ただ「流れていく」「手放して良い」「赦すこと」。

それが何を意味しているのか、沖縄の旅の終わりに最後のパズルのピースが揃うことになることを、その時にはまだ想像もできませんでした。

現代に生きる島民にとって、そしてその外側で生きる私達にとって、「イザイホー」とはどんな意味があるのでしょうか?

答えのない問いを抱えたまま、私は再びヒーラーのNさんの庵を訪れたときのことです。

神様に手を合わせお祈りをしている時に、いつものように頭の上のほうで声がしました。「私達も大変なんだよ…」
少し、笑ったような口調で神様達はこんな風に話してくれたのです。

「私達は祀られるために在るのではない。
祀られるのは大変なんだ。御輿の上とかね。私達は脚もあるし手も在る。何所にでも行ける。しかし、こうやって祀られると動けない。動けない物にしているのは人間なんだよ。そんな風に、私達を怖れなくてもいい。私達の力を怖れず、祀らなくていいのだから。

表現アートセラピー画像9私達は特別な場所に在るのではなく、元々何所にでも宿ることができる水や光のような存在なのだから。
私を祀らず、必要ならいくらでも好きなだけ使って、持って行っていいのだから。奪い合う必要などない。すべての人に行き渡るほど、尽きることがない井戸の水のようなもの。 私を必要なら好きなだけ持っていくがいい。私は永遠の命なのだから。
私を貴重な物だという幻想が、奪い合い争いを招いてしまった。
誰もが、信じることを忘れてしまった。怖れは疑いとなり、争い隔たりを作り出す。それがこの世界の在り様だ。どうか、争わず、私を祀らずに居ておくれ。私は水や光なのだから。水は貯めると澱み、光は祠に祀ると闇になってしまう。

人々よ、己の中に私が宿ることを思い出してほしい。
歴史は移り変わる時間という水の流れにすぎない。今を生きるがいい。過去でも未来でもなく今を大切に。
神には今しか存在しないのだから。」

表現アートセラピー画像10語りかけて来た神さまは誠に饒舌でした。
あらゆる制限や是正、特権意識は分離分裂のエネルギーに満ち、やがて衰退への道を辿ることを語ってくれました。
私は静かに聞くしかできませんでした。もちろん、中略いれれば、これは私の幻想、幻覚であり、妄想の域をでません。
しかし、私にはそれまで抱えていた問いに答えをもらったような気がして、胸のあたりがすっきりしていたのでした。

島は変わらない愛と信頼のエネルギーを放ちながらただ私の歩く道のいたるところにスピリットが佇んでいるのを感じていたのですが、私達が帰り支度をしはじめると、だんだんと雲行きが悪くなってきました。

表現アートセラピー画像11忘れ物を探している間に船の時間がたちまちやってきて、最後はまるで「早く帰りなさい」と追い立てられるようにギリギリ間に合ったフェリーに飛び乗ったのでした。

もう少しで、この地を訪れた意味を見つけられたのに。
そんな想いを抱えながら、降り出した雨の中、くすんで遠ざかって行く島影をいつまでも見つめていました。

次回へつづく