苦しむ自分へ
壁にぶつかり、戸惑うとき。
大切なものを失った時。
背負いきれない思いが溢れてくる時に、できることは何だろう?
あまりに、絶望が深く光が見えないとき。
誰かに助けさえも求められなくなるとき。
そんな時が人生の節目にやって来る時がある。
その苦しさを乗り越えるために、いろんなことを試してきた。
そして、一番役に立った方法。
それは、自分に手紙を書くことだった。
ただ、思いの丈を書き殴ったそのあとに、本当の私が応え始める。
本当の自分(源)は、本当に自分が求めているものを知っていた。
自分がエゴの声に押しつぶされそうになってもがいている時に。
「それは、幻想だよ。ほら、実体なんて無いだろう?」と、詳しく説明してくれる。
なぜ幻想なのかを、ちゃんと解説してくれる。
スピリチュアルな本に書いてある「すべて幻想です」という言葉で締めくくらずに、なぜ、そう見えるのかを教えてくれる。
そんな声が聞こえるようになって、私の怖れや苦しみは、だんだんと薄れていくようになった。
まだ若い頃、そんな行き詰まりを感じると、よく一人で行くところは本屋や、図書館だった。そこに並んでいる本のどれかは、私を助けてくれたし、背中を押してくれた。
そして、そんな本を山ほど読み、暗記した(笑)
人はなぜ悩むのか、何故苦しむのか、なぜ満たされないのか?
沢山のものに囲まれて、それでもなお失うことが不安で、何かを渇望し、夢が枯れるのを怖れた。
どんなに苦しい時も、悲しい時も、生きてる自分。
死にたくはなかったけれど、生きることなんて早く終わったらいいのに、と長い間思っていた。
先が見えない不安。やりたいことが解らない不安。怖れていることが起こることへの不安。
それを補う安心材料への渇望と期待。
その繰り返しが波のように心を覆う。
その壁を乗り越えるように、食べる為に絵を描くのをやめて、生きるために絵を描き、表現し、手放すことを学んだ。
そして、同じように悩む人と出会い、そんな人々をサポートする機会を持てるようになり、いつしかそれに夢中になっていた。
悩み、苦しむ人々は、自分自身だった。
皆、違った環境で、違った人生の上で、同じような悩みを抱えているんだ。
そう思ったら、出会う人が、皆愛しく大切に思えた。
自分を探し訪れた人達は、自分で創り上げた大きな城壁を登るか、諦め、逃げるか立ち尽くす。
私は、そんな彼らに、自分を支えるように、励ますように、背中を押す。
前に進むんだよ。
前しか、あなたの進む道はない。
今を見つめてごらん。
本当にそれは壁なのかな? 闇なのかな?
それは、もしかすると前に進むためのハシゴなのかもしれない。
見方を変えてみよう。きっと何か見えてくるから。
逃げても、自分からは逃げられない。
人生は自分と共にあるから。
自分が創ったその壁は、万里の長城のように続き、
ぐるりと廻る環になっているので、壁を越えずにいても、
同じことが繰り返し起こる。
そして、諦めて壁から遠ざかり逃げようとすると、
どんどん自分の中心から遠ざかり、求めるものとは出会えなくなる。
だから、自分が創った「しようもない自分」という壁を乗り越えること。
それだけが、今の自分にできることなんだよ。
苦しむ自分に、自分がかけてくれた言葉。
そして、同じように、苦しむ人と出会うときに、私がその人(自分)にかけてあげられる言葉。
そんなふうに、自分と対話するうちに、だんだんと私は本を読まなくなった。
だって、自分の読みたい本に書いてあることは、自分が知ってると気づいたから。
おかげで本代が節約になった。 (笑)
自分は、やさしく自分に問いかけ、そして答えを導き出してくれる。
答えは、誰かに教えてもらっても、自分の気づきにはならない。
問題集を自分でやらずに、答えを見てしまうのと一緒。
問題は(悩みは)自分で解くためにあるのだから。
そのヒントを、本当の自分は教えてくれる。
その本当の自分(源)と繋がるために、私は今日も自分と対話し、生きる。
絶望的な哀しみの中で、見える光は、いつも自分だった。
自分を知ることの大切さを、私はこうして見つけた。
きっと、誰にでもその方法が見つかるはず。
誰にでも、その源はあるから。
人生は旅にたとえられるけれど、それは自分を探し、自分を見つける旅なのだと思う。自分から逃げていれば、その逃避行は終わらない。
人生は困難がつきものだと云う人がいる。
それはある意味当たっているけれど、困難な最中にある人にとっては、「人生なんてあきらめるしかないよ」としか聞こえない。
でも、その意味を自分で見つけたとき、自分の中から力が涌いてくるのが解った。
その困難が自分に与えてくれるもの、教えてくれたことに気づいたとき、それはかけがえのないギフトとなった。
振り返ると、困難な出来事を諦めずに、乗り越えたあとに、うれしい出来事が幾つも訪れた。
時には、困難な状況と隣り合わせに、ラッキーな出来事が帆走していた。
だから、今はちょっとイヤだけど(笑)困難な出来事が送られてきたら有り難く受け取ることにした。
まあ、困難だと思い込んでいるのは、小さい自分で、いつもの本当の自分は、それを困難だと思ってはいない。
だから、いつもその人にぼやく「こんなのしんどい…イヤだ」(人にぼやくのをやめて、自分にぼやくのは良いものです)すると、「なら、こうしたらいいよ」と教えてくれる。便利だ…。
こうなると、私設の相談員がいるようなものだ。
もしかすると、皆これが出来ると、私の仕事(セラピスト)は無くなるかもしれない。笑
でも、その時は喜んで別の楽しみを見つけるから大丈夫。
だから誰もが、こうして自分と繋がってほしい。
もしもあなたが、壁にぶつかり苦しんでいるのだとしたら。
自分に手紙を書くと良い。
自分が信じられないのなら、神様にむけて問いかけてみたらいい。
答えはかならずやってくる。
本当の自分(源)は、自分からの問いかけに真剣に応えてくれるだろう。
「それは、自分の蒔いた種だ…」などと、辛辣に突き放したりはしないはずだ。
もし、自分が窮地に立っているときに、自分を責める声が聞こえてくるなら、
それは自分の源の声ではなく、怖れに満ちたエゴの声だと気づいてほしい。
その声はあきらめと、絶望に満ちている。
そして、その声を聞き続けてきたから、自分はいろんなものから目を伏せて、逃げ回ってきたのではないか? だとしたら、今度は別の声を聞く決心をしよう。
それが、新しい自分とつながる幕開けとなるから。
あれ、、気づくと同じ事ばかり言ってる…。
要するに、自分を頼りに生きてください、ということが言いたかっただけなんだよ…。