インディゴの夢~インディゴ・チルドレンワークショップを終えて~

藍色~インディゴブルーは特別な色だった。
画材店に行くと、いつも藍色を買い込んでしまう。
もの哀しい気持ちになると、青の絵の具で水絵を描いた。

沖縄の珊瑚礁のエメラルド色の海の色も美しいけれど、なぜか深い漆黒の藍色の海に惹かれるのだ。
青の極みとも云える藍の色は、癒やしというよりも、無意識に繋がる怖さと厳しさがある。

「地球上の生命はみんな海から生まれた。地球がすべての生物の母であるとすれば、海はその子宮である」

これは、1988年のリュック・ベッソン監督による、映画「グラン・ブルー」のモデルとしても知られる伝説的フリーダイバー、ジャック・マイヨールの言葉である。

私の好きなインディゴ(藍)は、数十年前に見た映画「グラン・ブルー」の深海の海の色に似ていた。

「グラン・ブルー」は、1988年のカンヌ映画祭では酷評されたにもかかわらず、スピリチュアルブームの波に乗り、公開後10年間で1000万人を越える観客を動員し、その後も語り継がれるカルト映画となった。

ウォータースポーツなど縁がなかったけれど、映画に魅了された私は、マイヨールに憧れて禅の本を読み、ヨガを習った。

イルカが霊的な生きものだということは精神世界では常識となっていたこともあり、イルカと戯れ、イルカ人間と称されたマイヨール自身も、やがてニューエージのカリスマとして知られるようになった。

そのブームが冷めやらない2001年の冬、突然彼は亡くなった。

彼の死に耳を疑いながらも、きっと水難事故か何かで亡くなったのだと勝手に思っていた私は、それが自死であったことを知り、呆然となったことを覚えている。

当時は、自分も含め、彼を心の指標としている人の気持ちが裏切られたような気になり、悲しみを通り越し、怒りさえ覚えたのだった。

あれから20年、時を経て思った。
もしかしたら、彼はインディゴの申し子~INDIGO CHILDREN だったのかもしれない…。

インディゴ・チルドレンという言葉を聞いたことがあるだろうか?

「インディゴチルドレンとはニューエイジの概念であり、特別で変わった特徴を持ち、時には 超自然的な能力を持つとされる子どもたちのことである。」<ウィキペディア>

彼らは、地球上の一貫性のない政治や古い体質の教育・社会的秩序など、古いシステムや概念を壊す役割を担って地球に生まれてきているため、生まれつき戦士のような気質を持っているそうだ。

しかしながら、多くのインディゴチルドレンは、一般的な人と異なる感覚や資質をもっていることから、ADHDやHSPという診断がされたり、社会の枠組みの中で生きるのが苦しいと感じる人が多いという。
そんな理由から、多くのインディゴ達は、その能力を全うすることが難しく、生きにくさを抱え、ときには引き籠もり孤独を感じて生きているというのだ。

彼等の敏感な感性は特別で貴重なものなのだが、経済至上主義の現代社会では、無用の長物なのだろう。
インディゴ達は、現代社会が汚染する地球の痛みを代弁しているようで心が痛む。

よく考えると、ワークショップに訪れる人は、そんなインディゴの気質を持つ人が多いような気がする…。

インディゴの色を愛する人は、心理や精神世界に惹かれることが多いという。
だからなのか私はこの数年、染色をモチーフにしたワークを提供するようになり、藍染めの魅力に夢中になっていた。

藍色の持つ癒やしの力を借りることができないだろうか…?
インディゴの青に触れていると、彼等のことを思い出し、藍の色にちなんだ、「インディゴチルドレン」のためのワークをしてみたい思いが湧いた。

「インディゴチルドレン」のためのワークには、やはり天然の染料を使う藍染めをしたいと思ったのだが、これが思いのほか扱いが難しい…。

藍とは、まるでインディゴチルドレンのようだった。
藍が草木染めのひとつだということぐらいの知識しかなかった私は、その性質を知り心が躍った。

「藍」とは、植物の中に含まれている成分が変化して生じた、藍色の色素を含む染料のことである。
藍の染料は、日本では、主に「タデアイ」というタデ科の植物から作られるのだが、そもそも、なぜ緑色のタデアイの葉から、青い色が生まれるのか不思議ではないだろうか?

タデアイの葉の中には、インジカンという無色の物質が含まれており、葉が傷ついたり、枯れると、次のような変化が起こり、インジゴという青い色素ができる。

この藍の色素は、インジゴ(インジゴチン)と呼ばれ、これを繊維に染めつけることで、青色(藍色)の染色ができるのである。
インジゴとは、本来はインドで栽培されている藍植物からとれる天然藍(インド藍)のことを指し、「インドからきたもの」という意味からその名が生まれたという。

インディゴの元々の要素は無色の水溶性物質なのだが、複雑な作業の中で空気や光合成の力を借りて青色のインディゴの色素に生まれ変わる。

一般に、染色をする時、まず染料を水に溶かし、その液の中に繊維を染みこませるという過程を行うのだが、インディゴは水に溶けないという性質を持っている色素なので、いったんインディゴの色素を水に溶けるよう発酵させてから繊維に吸収させ、繊維の中で再びインディゴに戻すという複雑な行程を経て染色が行われるのである。

その行程は、まるで簡単には水(社会)には溶け合えないインディゴチルドレンの性質にも似て、人生で紆余曲折、暗中模索するように生きる彼らが、やがて自分達が生まれて来た目的と意図を思い出していく人生脚本のようだ。

ワークショップのプログラムでは、そんなインディゴスピリットを再生させるための藍染めのプロセスを思う存分に体験してもらいたいと思った。

自分だけの藍染めの衣をデザインし、染める。
まさに変容する自己の本質を思い出すために…。

9月だというのに、北軽井沢は晩秋を思わせる肌寒い気温と生憎の雨続きだったが、そのようなお天気にもかかわらず、参加者たちがとても活き活きとしていたことが、私達スタッフの気持ちをホッとさせた。

藍の染料を含ませた布を、日の光や風に晒し、流れる水の中で気が遠くなるくらいに洗うという作業を繰り返しながら、それぞれが、自分が身につける衣を紺碧の布に染め上げて行く。
その間にも、藍の染料の力が失われていくのを補うために、還元させコンディションを整えなければならない。

なるほど、藍染めの布が高価なのはこんな作業があるからなのだと、納得がいく。 (^_^;)

作業の大変さなど物ともせず、参加者の誰もがまるで自分の本質と繋がろうとしているかのように、夢中で布や藍、そして水と戯れていた。

最終日、一人一人、異なるデザインで染め上げた衣を纏い、自分の使命を思い出し綴った。

その時の見事に染め上げた布のように美しい表情は、まるでインディゴの夢から覚醒した誇らしい藍の使者のようだった。

孤高で気高い目的を持って生まれて来たインディゴチルドレン達は、しばしば孤立し、社会と葛藤するが、決して彼等は孤独ではなく、見捨てられてはいない。

スピリチュアルな世界での認識では、一般に1970年代以降に産まれた人をインディゴと呼ぶそうだが、その先駆けとして、生まれたアウトサイダー的先駆者を、「インディゴ・パイオニア」と云うのだそうだ。
フロンティア精神あふれるインディゴパイオニアの役割は、70年代以降に産まれるインディゴの子供達を助け、その本質を思い出させることにあるという。

その代表に、アインシュタインやジョン・レノンなどがいるというが、先にふれた、ジャック・マイヨールも間違いなくインディゴのサポーターだろう。

インディゴチルドレン達は、深い夢から覚醒することで、孤高な闘いを乗り越え、本来の目的を思い出し地球の変容と新生を助けるという壮大な使命を持っている。

この混沌としたパンデミックの時期にこそ、自らの光に目覚め始め地球を助けようとしているインディゴ達が増えているのだ。

異なる価値観や個性は自然な表現である。
むしろ、それを一般化することのほうが不自然な規制だといえる。
競争や差別のない、人との違いを喜べる社会がやってくることを望まない人がいるだろうか?
望む前に、そんな世界など来るはずないとあきらめている人は多いかもしれないが…。

しかし、希望を捨てず、インディゴ達が在るがままの自分で生きることで、誰もが気づき始めるはずだ。異なる他者と共存共栄する世界が本来の自然な地球の姿であるということに。

この話を書きながら、そう言えば、自分が子供時代、制服の紺色(藍色)が好きになれなかったことを思い出していた。
人と異なる価値観や気質をもっていたことで、集団に溶け込むことが苦手な子供だったからだろう。
今では、深海の子宮に包まれるような藍の深さに安堵し、魅了されているのが面白い。

どうやら、私も深い夢から醒め、彼等をサポートするために生まれてきたインディゴパイオニアだったことを思い出し始めた印なのかもしれない…。

最後に…。

本ワークショップは、FULZEN LAB主宰のテキスタイルデザイナーである若井麗華さんの指導の下、本格的な藍染めの実習を行うことができました。
深夜まで残って制作する参加者を見まもり、指導してくださいました。
この場を借りて、深く感謝の気持ちを伝えたいと思います。

麗華さん、本当にありがとうございました!
そして、お疲れ様でした。
これに懲りず(笑)いつかまた、インディゴ達のサポートをお願いします。

愛を込めて

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