ゆっくりとした情熱 – 伝説の写真家ソール・ライター回顧展にむけて
「その写真展、観に行きましたよ。
エリさん、きっと好きだと思います」
友人の言葉に背中を押された。
鎌倉と北軽井沢と往ったり来たりの日常。
久しぶりに文化の匂いを求め、気になっていた写真家の展覧会を見に上京することにした。
空梅雨の渋谷の街を、文化村ミュージアムに向かってスクランブル交差点を歩いていると、なんだか映画の中に迷いこんだような気分になる。
私はその写真家のことを、あるドキュメンタリー映画を通してはじめて知った。彼の写真を観たとたん心が動き、その作品に魅了された。
ソール・ライターは、1950年代から80年代までニューヨークのファッションの世界の第一線で活躍したカメラマンである。その彼が伝説の写真家として名を広めたのは、その希有な生き様にあった。
好景気がはじまろうとする1981年、彼はニューヨークの5番街にあった写真スタジオを閉鎖し、過去の名声をすべて投げ捨てるように世間から姿を消した。
再びライターが、世界の舞台で脚光を浴びるきっかけになったのが、2006年にドイツのシュタイデル社から刊行された「Early Color」という写真集だった。
その後、彼の生き様を写したドキュメンタリー映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」を経て、さらにその名声は拡がっていく。
彼の写真に触れ「この人のことを80年代に知っていたら…」という想いが募った。どうやらライターの写真は無意識の古びた玉手箱を開いてしまったようだ。
その昔、銀塩の一眼レフカメラを持ち歩き、フィルムを惜しみながら写真を撮っていた頃を思い出す。絵を描くことからデザインに興味を写した私は、見よう見まねでいろんな写真を撮っていた。当時、大切にしていたのは、構図と色だった。自分が生きる世界からどの場面を切り取るのか? 何にフォーカスするのか? そしてその構図や色について、どこまでもこだわっていたものだ。
所詮、素人のこだわりだったけれど、暗室に篭もってはコントラスト(白黒の強弱)を求めて印画紙と睨めっこしたり、モノトーンの美しさに夢中になる時間は楽しいものだった。
やがて私は絵や写真を制作するために、ソール・ライターが引き籠もったといわれるニューヨークのイーストビレッジ近くに移り住むことになる。あこがれの地ニューヨークの街角は、何もかもが被写体に見えた。そこに棲む人々を撮ろうとした私は、情けないことに、人に近づくことが怖くて望遠レンズ越しにシャッターを切る在り様。「それじゃ、盗み撮りだろう?」と自分のつっこみに失望し、やがて写真を撮るのをやめてしまった。
今回の回顧展で彼の本物のカラープリントを目の当たりにして、再び思った。あの頃、この写真を知っていたら、彼の絵を観ていたら、私はあの時絵を、写真をやめなかったのだろうか?
でも、時は今。
今、彼の作品に出会っているのだから、ここからお話ははじまるのだ。
彼が遺した言葉がこだまのように心に響く。
「写真は発見すること。絵は創造すること」
「見るものすべてが写真になる」
「重要なのは、どこである、なんである、ではなく、どのようにそれを見るかということだ」
「写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時折提示することだ」
ソール・ライター
60年代、彼は押しも押されもしないトップフォトグラファーとして、ニューヨークのファッション写真の世界を席巻していた。そんな名声をうち捨てたことに多くの人は頭を傾げたに違いない。
「なぜ、やめたんですか?」と逢う人ごとに彼は聞かれたことだろう。
ドキュメンタリー映画の中で、インタビュアーの質問を受けて少し腹を立てたように呟いた。「みんな何故? どうして? どうやって? と聞く。何故?何故?何故? もう、うんざりだ! 」
インタビュアーは何気なく色の決め手について聞きたかっただけなのだが、彼はもう詮索されることに辟易としていたのだろう…。質問を遮り、先の台詞を吐き捨てるように部屋を出て行ってしまう。その子供のようにプリプリするところがなんだか可愛かった。
「雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い」
「人の背中は正面よりも多くのものを私に語ってくれる」
ソール・ライター
彼の言葉には、メジャーな世界から退いた彼の心情が現れている。ファッションという移り変わる虚構の仮面を被ったモデルを撮るよりも、人間の生き様のほうがどれほど面白かったことだろう。
そんな彼に今ではあらためて聞く人は少なくなったんじゃないかな…。
浮世絵を愛し、禅の本を読み、和紙に絵を描く写真家。
彼の視点は日本人に共通するものがあったのかもしれない。
主たる作品は、1950年代に撮られたものが多い。いずれもコマーシャルの世界で脚光を浴びる以前のものである。
今回展示されたも作品のいくつかに1958年撮影と記されているものがあった。私の生まれた年だ。
「その頃、ニューヨークの街角はこんな風だったんだ…」
見たこともない大昔の風景なのに、なぜか懐かしさが涌いてくる。
そのどれもが、対象となる世界や人物を時には暖かく、時には静寂の目で見守るように切り取られた完璧な構図だった。
それは静かでいて、情熱の火も垣間見える。
そして愛がある。
私にとって彼の視点は、対象をノンジャッジで見つめた神の目のようだ。
「こんな目で世界を見つめることができたらいいのに」
そう思い、30年前にニューヨークの街で彼の写真に出会っていたら、まちがいなくあの望遠レンズを捨てて、彼のところへ(彼はイーストの11丁目あたりで、私は8丁目に住んでた)押しかけたことだろう(笑)
「取るにたらない存在でいることには、はかりしれない利点がある」
「私は注目を浴びることになれていない。私が慣れているのは、放っておかれることだ」
ソール・ライター
彼の言葉は、何者でも無いということが、在るがままの純粋な世界を探究するために必要な在り方なのだと伝えているように思える。
私達は、世間にそして人に承認を求め、何かになろうとする。しかし、それでは在りのままの世界を見て、在るがままの自分を生きることにはならない。
彼が一度、有形無形ほとんどのものを手放して、無名にもどりたかったのは、名声を得ることよりも純粋な創造者として、人生の目撃者として生きることへの価値に気づいたからかもしれない。
暇をつぶすように家の近所をうろついて(すみません、うろついているようにしか見えなくて…笑)写真を撮る彼は、急がずゆっくりと生きていた。でも、好奇心という情熱の火だけは失わずに。
興味深かったのは、まるで隠れ家のようなイーストビレッジの雑然で素朴な部屋だった。80年代に隠遁してから再び世界の舞台に連れ戻されてからも、そのライフスタイルを一つも変えなかったそうだ。
そこには約30年以上の思い出と、恐らく本人も覚えていない膨大な量のフィルムや作品が眠っているのだろう。
ビデオカメラに向かってそれらを整理したいとぼやくライターは、こんな言葉をつぶやいた。
「人生で大切なことは、何を手に入れるかじゃない。何を捨てるかということだ」
ソール・ライター
自分に云ってるのかなあ…。
その言葉とは裏腹に、狭い居室にはところ狭しと、モノや資料が積み上げられている。名声は捨てたけれど、思い出を閉じ込めたリバーサルフィルムと家族の遺品が捨てられずに残った。
最愛のパートナー、ソームズの遺した縫いぐるみの人形を箱から取り出して見せる彼はどことなく寂しそうに見えた。
ゆっくりとした静かな生活を求めた彼だったが、皮肉にも世界はその才能を独り占めさせてはくれなかった。
ソール・ライターは、映画が撮影された次の年、騒がしくなった人生から逃れるようにこの世を去る。
注目されることに慣れていない巨匠は、結局すべてのものを捨てて、急ぎ足で愛する人のもとへと旅立って行った。
ニューヨークが生んだ伝説
写真家 ソール・ライター展
開催日:2017/4/29(土・祝)-6/25(日)
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
他会場:伊丹市立美術館 2018年春(終了)2019年3月9日(土)~5月12日(日)新潟県立万代島美術館(予定)