インナーチャイルドー 仮想世界を生きる分裂の仮面 vol.3
今年の春のインナーチャイルドは、いつにも増してエキサイティングで深い体験となった。
毎年興味深い体験になるのだが、始まる前から何故かいつもとは違う予感がしていたのである。
コロナ禍が始まって2年以上が過ぎた。
時代が目まぐるしく変わりつつある今、人々の中で確実に何かが変容しはじめている。
先が見えない時代を生き抜くための処方箋を求めて、人と人が繋がるリスクを負ってもなお、リアルな体験を求める人たちが増えた。
これは人々がだんだん怖れから目を背けるのをやめ、自分自身を本気で探究する時代へと変化している兆しなのかもしれない。
人間関係とは傷つくし面倒なものだ。
だが、人間が自分のことを知りたいと望んだとき、人との関わりを避けて通ることは不可能だ。
なぜなら、その違和感やストレスの中に、自分を知るための鍵が潜んでいるから…。
その違和感をごまかしながら、傷つかないように自分の殻に閉じこもったり、他者のせいにしたりして生きているとしたら、一生本気で生きることなどできないだろう。
インナーチャイルドワークを体験する絶好のタイミングは、人生で「一番辛い時」か、はたまた「本当に幸せになりたい」「成長したい」と望んだ時だ。
「本気」が現れるのはそのような時だからだ。
そうでもしないと、見たくもない自分の闇(時に光)を見ようとはしないだろう。
さて、ここから先の話は、ITやコンピューターが苦手な人や、ワークショップに参加したことが無い人にとっては少し難解かもしれないがつきあっていただきたい。
1999年に世界的に大ヒットした「マトリックス」という映画があるが、この続編が最近約20数年ぶりに公開された。
*興味があるかたは、こちらの映画解説をどうぞ
当時、この映画を観たときの驚きと興奮を今でも覚えているが、内容が難解だったので何度か(映画解説などを参考に)見直すことになってしまったのだが…。
それでも、飽きずに何度も観てしまったのは、そのテーマがインナーチャイルドや非二元の世界観に繋がる面白さを感じたからだった。
さらに、本作の監督兼脚本家であるウォシャウスキー姉妹が、マトリックスのシナリオのアイデアを、インテグラル理論の提唱者ケン・ウィルバーの著作から得たことを知り、なるほどと腑に落ちたのだ。
そもそも「マトリックス」とは一体何なのか。
語源は“子宮”を意味するラテン語で、英語の解釈では(物事を生み出す)母体や土台、基盤を意味する。
一方、数学用語では行列(複雑な計算を表現するタテとヨコの文字列)を指す言葉である。
この映画では、人類の圧制に反乱を起こしたコンピュータ・マシンが、人類を支配するために構築したシミュレーテッド・リアリティ~つまり仮想空間のことを指している。
*劇中で説明されている「神経相互作用が創り出した虚像の世界」は、親に対して反乱を起こさないように制御されているネガティブチャイルドのI空間の構造にも似ている。
映画『マトリックス』シリーズでは、人類に虐げられたマシンがシンギュラリティ(機械が人類の知性を超えること)に達し、マシンと人類の激しい戦いの末にマシンが人類を支配するようになった近未来が描かれる。
敗れた人類はポッドという機械の中で培養され、人間の体はコンピューター・システムに電気を供給するための生体電池として利用されてしまう。
体はポッドの中だが、意識は首筋に繋がれたプラグを通じて20世紀末を再現した仮想空間(=マトリックス)に接続されているわけだ。
そして、ポッドの中の人間たちは、マトリックスの世界を本物だと信じており、ほとんどの人間はその中で生涯を終えることとなる。
マトリックスという「メタバース~仮想空間」に閉じ込められた人間は、自分が誰なのか知らないし、知りたいとも思っていない。彼らは知らないうちにAI(人工知能)が存続するための電力源にされているのだ。
マトリックスの世界を本物だと信じ込む人間たちというのが、制限に閉ざされたI空間の中で、怖れを動機にした行動(逃げる、護る、闘う、競う)しかできなくなったインナーチャイルドを彷彿させる。
この人間の閉塞感は、現在の人類が行き詰まりを体験しているものと同じではないか?
その昔悟りを開いた釈尊を、真理に目覚めた人(覚者)と呼び、眠れる者とはマトリックスに捕らわれた私達人間のことを指すのであろう。
最新の映画『マトリックス レザレクションズ』の内のマトリックスは、過去に5回のバージョンアップを実行済みで6回目のバージョンアップした世界だ。
あらゆるバージョンのマトリックスの世界は、AIによって統治され、秩序を保たれている。
そこに棲む住人は、少々窮屈でも気にはならない。
何も考えなくて良いし、大人しくしていれば何とか命の保証はされるから、その方が懸命である。
これはまるで、人間が現在生きている支配と従属の社会と同じである。マジョリティ(多数派)に分類される人々は、黙って満員電車に乗り辛抱強く働く。
何か問いが生まれたら、それを教えてくれる神(親、先生、政府)に質問し答えを鵜呑みにする。
メディアに推奨されるコンパクトな人生に満足し、仮想の幸せを競いながら集団の中で生きるほうが、反発して心を病むよりましだと考えるし、至極まともな選択だと思い込む…。
しかし、人と違う感性・感覚、思考、ビジョンを持っているイノベーター(革新者)にとっては、それは苦渋の選択だ。
もうそろそろ脳に埋め込まれた時限式発火装置が起動し始めるための赤いピルを飲む時がやって来たのかもしれない。
※「マトリックス」の世界には、赤いピルと青いピルがあり、赤を飲めば真実を知り現実世界で目覚め、青を飲めば仮想世界=マトリックスに留まり、何事もなかったかのように“日常”に戻ることができる。
変革は行動によって始まる。
ただ、その変革をどこに向かって行うかが問題である。時代を変革し、本当の自分を生きるためにできることとは何だろう?
明確な方法や正しい答えはないが、一つだけ言えることがある。
変革の第一歩は、自分の内面の中で起こらなければならないということだ。
外側の世界(政治や経済、法律、教育、社会のシステムや常識)を変えることではこれまでのイタチごっことそう変わらないからだ。
どんな些細な一歩でも構わない。先ず、一人一人のマインドの改革から始めるのが望ましい。
映画マトリックスの主人公、ネオはメタバース(コンピュータネットワークの中に構築された、3次元の仮想空間)の世界を変える救世主として現れ、過去の三部作では、ネオによって(AIと人間を)統合に導くワンネスの世界の始まりを感じさせるプロットだった。
最近公開された続編は、さらに複雑に入り組んだマトリックスの多次元性が展開していたのが興味深い。
話をインナーチャイルドワークに戻そう。
この閉ざされた仮想空間は、インナーチャイルドの<ネガティブなI空間>に似ているという部分について、もう少し説明したい。
インナーチャイルドたちは、自分の心が傷つかないようにするため、自我空間の中に、もう一つの空間を作り、その中に自分の分身を閉じ込めているという自作自演のストーリーを思いついた。
閉じ込めているのも、閉じ込められているのも、同じ「自分」である。
閉じ込められ、見捨てられた自分を恥じ自戒する。
そして切り離した自分を求めながら呪ってもいる。
自分を愛したいが、同時に自分を憎んでもいる。
幸福になりたいが、同時に不幸を望む自分がいる。
私たちはマインドという閉ざされた空間の中に、実に様々な矛盾する欲求を持つ自己を創り出してしまった。
それは、仮面をつけた「他者」という名の異端の自分のなのである。
宇宙原理に基づけば、自分以外の他者などは存在できないとしたら、大いなる自己矛盾が生じてしまうので、分離が成立する構造=マトリックス(仮想空間)を創り出し、自分を欺いているというわけである。
もしも、あなたが望まない人生を送るしかないと諦めていたり、誰かに傷つけられていると感じたりしているなら、あなたはもしかしたら<マトリックス~I空間>に閉じ込められているのかもしれない。
インナーチャイルドのプロセスワークとは、このプロット(ストーリー)の書き替えや再編のステップを疑似体験する。
ワークショップの中で創作するマスク(お面)やパペットは、ネガティブなI空間やマルチなパーソナリティのメタファーである。
チャイルドが好むようなアイテムを用い、自己欺瞞のストーリーを自ら解き明かしていくプロセスは、スリリングではあるが、とても興味深くワクワクする。
このようにして、分離の幻想世界に生きる「自分」が幻想だと気づくことが<目醒め=悟り>であり、それが人類の最終的なゴールなのかもしれない。
そのためには、自分自身のインナーチャイルドが捕らわれている仮想空間に気づき、新しい現実を再創造しなければならない。
自分を救済できるのは、自分だけなのだから…。
私たち人間の脳の仕組みやマインドの世界は、ハリウッド映画顔負けのエキサイティングで複雑なプロットが展開されているミステリーゾーンであり、人間の意識は<神>に匹敵するスケールを持っているらしいのだ…。
もしかしてあなたは、こんな話は壮大すぎて(または、複雑すぎて)信じられないと思うかもしれない。
インナーチャイルドワークを通して、本当に自分を探ろうとするのは、覚醒したイノベーターたちだ。
そして、彼らがそしてあなたが新しい世界を創造する救世主となる。
それに気づいた時。
新しい世界はどこかにあるのではなく、たった今、意識の中に創り出せるということを思い出すだろう。