夢を愛でる春〜花を愛でる夢
桜を愛でるという習慣はいつからだろう?
幼いころの記憶を辿ってみても思い出せないので、たぶん大人になってからなのかもしれません。
社会人となってからのこと。
当時仲の良かった友人が桜好きで、よく花見に行ったものです。
それからというもの、毎年桜の時期になるとそわそわしながら膨らみはじめる桜のつぼみを眺めるようになりました。
この数年、春は、ワークショップやイベントなどで慌ただしく過ごしてしまう割に、見過ごすこともなく、ちゃんと桜に出会えるのは、春のドリームマップのワークショップのおかげです。
ドリームマップをこの時期に開くようになったのは、春分の時期にもたらされる始まりの力を借りるためです。
植物たちが長い冬を越え、その間に蓄えた地中の栄養を一気に芽吹かせるように咲き誇りはじめる春は、種を蒔くのに絶好の機会です。
もちろん、種を蒔いたとたんに恵みを収穫することはできないように、夢の種も蒔いたとたんに叶うわけではありません。
まず、種を蒔くことが始まりであり、大切な作業ですが、これも一つのハードルとなることがあります。
子供時代に描いた大仰な夢が淡く消えてしまうと、やがてその儚さだけが心に染みこんでしまい、いつのまにか夢を抱かなくなってしまいます。
なんて、残念なんでしょう…。
実際、夢を描くのは、落胆や挫折と背中合わせなのかもしれません。
なぜなら、描いた夢を実現させるためのステップ(つまり、階段)を登らなければいけないという観念があるから。
しかし夢を目標とし、それを達成するために「今」あくせく努力を積み重ねなければいけないものなのでしょうか?
夢を叶えるためには、また別のコツがあるような気がするのです。
皆ドリームマップを創るとき、遠慮がちになったり、本当に叶えたいことがわからなくなったり、意味のわからない気分に陥ってしまうことが多いのは、心の奥底に大きな落胆を抱えて冷たくなった小さい子供が冬眠しているからなのです。
これまでの人生で、沢山の夢や目標を達成し、うまくいった現実があっても、達成された夢たちは次第にただの日常へと色を失っていきます。一方、叶わなかった夢や達成できなかった目標は、重くいつまでも強烈な印象としてこびりついてしまうのです。
次第に時間が経つにつれ、思い出の中では、そんな挫折への怖れの種ばかりが目立ってしまうのです。夢の種を蒔くのと同時に、落胆の種を蒔いてしまったのでは結果は明らかです。
怖れで一杯になった心が反映し引き寄せる現実は、単なる幻想(思い込み)の投影なのに、それを見破ることはなかなか難しいものです。
次第に夢はワクワクしたものではなく、怖れから身を守り、欲求を満たすためのかりそめの野望が「夢」へと姿を変えて行くのです。
そんな野望を夢として設定してしまっていることに、暗に気づいているのも子供自身(無意識)なのです。彼らは、自分が抱える矛盾を必死に知らせて、その呪縛を解いてもらうために賢明に顕在意識の自分を呼ぶのです。そこで私たちは、ドリームマップ(夢)を手がかりに、やがてそれを生んだ種子(観念)に辿り着きます。
ドリームマップはそんな意味で、冬眠する子供を揺り起こすような体験へと繋がる絶好のチャンスとなります。
まず、「夢は叶う」というとても有効で素敵な思い込みを創るため、自分の価値を認めるステップを登ります。
在るがままの自分に十分な価値をつけることができれば、望むものが与えられるのは必然です。
これまで自分に架していた、たくさんの条件付け(良い子でなければ、ご褒美はもらえない)など、実のところ何の効力もないのです。
私たちは、不安や不足から何かを望むのではなく、ただワクワクするだけで良いということを思い出さなくてはいけません。
不安で凍り付いた心を持った子供を揺り起こし、そっと告げてあげてください。「目を醒ましてごらん、枕元にプレゼントがあるよ」
子供が寝ぼけ眼でプレゼントを手にしたとき、過去の怖れを一瞬にして手放してしまうことでしょう。
諦めて泣き寝入ってしまった子供の願いを叶えてあげられるのは、誰でもない自分自身だけなのです。
大人になった私たちは、だれもがサンタクロースのお伽話など信じなくなってしまいました。
でもそれは、ある意味間違った幻想なのです。
「うちにはサンタクロースなんか、やって来ないよ」
親に冷たく言われたという人がいました。
「なぜ?」と不思議に聞くと、「お前が良い子じゃないからさ」
そんな風に教えられたと言います。
多分、そのお父さんは、自分自身の心にサンタクロースを棲まわせていることに気づかずにいたのでしょう。
そして、落胆する辛さを味合わせたくないために、そんな辛い気安めを言ったのかもしれません。
私たちの心の中には、ワクワクとした願望を創造しつづける無邪気な子供も息づいていれば、どんな願いも叶えてくれる聖人もいるのです。
彼らと出会うため、夢を何度も創ってほしいのです。
今年は、東京で桜を見送りながら、1回目のドリームマップを終えると、タイムスリップしたみたいに、2回目のドリームマップの準備のため、早春の北のアトリエに帰ってきました。
この冬、北軽井沢のアトリエは住み心地良い空間を創るため、リノベーションをしていました。
このアトリエは、ここにやってくる人たちのとって、夢を創る大切な空間でもあります。その空間を調える作業は、私にとって文字通り夢を創る時間でした。
今年はワークショップの間、みんなと一緒に私もドリームマップを創ったのですが、創りながら、自分の夢は既に叶っているのだと気づきました。
夢はいつしかそのプロセスを辿っている時が一番至福なのだとわかったのです。
でも一方で、至福の時はあっという間に散ってしまう花のような儚さを合わせもっていることにも気づいていました。
そんな不安から心を立て直すために、北軽井沢でのドリームマップでは、『プライマリー』という、意志を創造するワークを提供しました。
プライマリー・コントロールというワークは、マインド・デトックスのテクニック(インプット)の一つで、夢に意識を集中するエクササイズのようなものです。
そのステップを体験するうち、皆自分自身の夢に集中し、そのプロセスの中で、小さい子供(インナーチャイルド)の怖れや欲求、儚いワクワクと出会うことになりました。
そして、やがて本当にもっていた自分の願望を思い出すことが出来たのです。
私たちが何故、人として生まれ、人生を生きるのか?
この深く壮大な問いは、死ぬまで答えを知ることができないかもしれませんが、夢が大きな手がかりになりそうです。
私たちは、春になると希望の種を蒔き、あくせくと雑草(セカンダリー)を抜きながら、実が実る時を待ちます。夢の収穫まで少し時間がかかると思えるとき、疑いや問いが生まれます。
そして、その答えがやってくるのは、実りの秋を迎えるのと同じ時期なのです。
夢は儚いものではありません。
プライマリーの力は、それ自体がリアルなのです。
それはワークで体験したみんなの意識の中に生まれた<確信>からも明らかでした。
私たちの夢は創った時点でどこかの現実で叶っている。
その奇蹟を教えてくれる叡智が自分の中にあり、それを受け取るラッキーなチャイルドも必ず存在します。
ドリームマップを創るために雑誌をめくっていて見つけたキャッチコピー。「どちらの夢も叶えます」
私には、どちら様の夢も叶えます〜と読めて楽しくなり、さっそく自分のマップに貼りました。
私はつくづく、こうして毎年みなさんのドリームマップ創りの手伝いができることが至福の時だということを知った今年の春。
それは儚い夢ではなく、とてもリアルな正夢のようでした。
春はいつもやってきたと思うと、あっという間に去っていくなあ、と思っていましたが、今年は春待つ息吹の聞こえる北の地にやってくるチャンスがあったおかげで、何度も満開の桜に出会うことができました。
まるで「春はここにあるよ」と何度も心にアンカーするように…。