自由と自立~源に還るゲーム インナーチャイルドWSを終えて
子供の頃、お腹を抱えて笑ったことを覚えていませんか?何でも知りたいと興味津々だったことや、あの壁の向こうや、この路地の向こうには何があるんだろう?と行ってみたくなる衝動を覚えた人は少なくないはず。
子供の頃は、無謀な挑戦や(それを自分では無謀だと思っていないのですが…)、間違いだらけの妄想や、失敗だらけの毎日でしたが、時間はゆっくりと、時に目まぐるしく廻っていました。しかし、大きくなるにつれ、人から怒られたり、失敗することは恰好良くないと思い始めます。
なんとなく誰かの言うことを聞くことが無難だと思えるようになり、だんだんと冒険することを忘れ始めます。
子供が成人に達したら、自立を促されますが、子供の頃に培うはずのフリーエネルギー(自分らしく在ること)を否定されて育つと生きるために必要なパワーの源の在処を見失ってしまいます。すると、パワーは自分以外のものから奪うか、頼るかしか方法は無いと思い込むようになるのです。心がパワーに満ちて自立できる状態でないのに、いくら頑張っても疲れてしまうだけです。学校を卒業して、就職したとたん、息切れし鬱になっていくのは、そんな原因もあるから…。
フリーエネルギーの源を見失ったまま年を重ねて大人になったつもりでいても、どこか不安がつきまといます。
パワーの拠り所を自分以外の物に求め、あらゆるものに依存しはじめます。文化的生活と云えば聞こえは良いけれど、美食やブランド品、はたまた容姿や資格に至るまで、自分を価値あるものに見せるための魅惑のアイテム(オモチャ)は匹も切らず現れ、いつしかパワーゲームに巻き込まれてしまうのです。
仕事依存、恋愛依存、ギャンブル依存、ネット依存…。それらに依存することで心の充足を得る生き方は、自由とは言えません。
もしかしたら、私達現代人のほとんどが精神的に自立をしていないのかもしれないのです。
物があるほど不自由。人間関係が面倒…。
はたして断捨離をすれば本当の自由が手に入るのでしょうか? 真の自由そして自立とはいったい何でしょう?
社会的に認められていても、安定していても、自活していても、いつも何かを失うことを怖れ、誰かと競うことで疲れながら生きることはなんとも不自由です。
たとえ社会的に暮らせているとしても、精神的に自立しているとは思えません。大人でも、被害者意識になって誰かを責めているのなら、その人はその対象に捕らわれているという意味で、心の自由を知りません。つまり、精神的に自立していないことになります。
自立を自活する(自分でお金を稼ぎ、生活する)ことに限ってしまえば、子供は自立していないということになりますが、社会の制限や規則に縛られない心を失わずにいる子供の素直な心は精神的には自由で自立しているはずです。
本当の自分を信頼し、自分軸を持っているということほど、強いものはありません。
たとえ、子供であろうと、その軸を持っているのであれば、自分でお金を稼ぐことができなくても、経験が足りなくても、自立した状態を保つことはできるのです。
健全な子は、たとえいたずらをして失敗し、怪我をしたとしても、守ってくれなかった親を批判することはありません。つまり、怪我というリスクを払っても、ワクワクしたかったからです。
ワクワクやチャンレジにはある程度のリスクは付きものです。しかし、そのリスクを自分で取る(責任を取る)と決めた人がパワーの在処を知っているのです。
フリーエネルギーを生み出す源は、自分の中にあること。それを知っている人は、子供であれ大人であれ自由です。
制限や支配の構造を見破った人は、そこ(幻想の世界)から抜け出し、現実世界で実験を繰り返します。それは、なんとも言えないクリエイティブな世界なのです。画家で云えば、ピカソがそんな存在でした。たぶん、彼は永遠のチャイルドだったのでしょう。
だからこそ、誰もが彼をうらやんだのです。しかし、社会はいつも大きな脅威となってたちはだかりますが、彼等(子供や子供心を持ち続ける人)は意に介しません。そんな強さは、生まれた時に持ってきたフリーエネルギーのソース(源)の在処からやってくるのです。
今年の春のインナーチャイルドは、「不思議の国のアリス」というファンタジーをベースに、ワンダーチャイルド&フリーチャイルドのパワーを思い出す冒険の旅でした。
不思議の国のアリスの作者ルイス・キャロルは、それまでの教訓的なお話ではなく型にはまらない自由な発想や、社会への風刺も込めたストーリーを自由に探検するアリスの姿を通して描いたと言われています。
不思議の世界で生きる様々なキャラクター達に翻弄されながらも、アリスは独自の意見を見失わず、自由に冒険を続けます。その秘訣は、彼女の持つ好奇心の力に違いありません。
アリスは子供ながらも、自分の価値基準を外側の世界に求めてはいません。理不尽な理屈をこねる輩や、きちがいじみた大人達のいいなりにはならずに、持ち前の利発さで受け流して行きます。そこで大人やルールや社会を否定し逃げてしまったら、単なるロストチャイルド(引きこもり)なのですが、彼女は持ち前の天衣無縫の無邪気さで渡り歩いてしまうのです。これこそ、フリーチャイルド(自由の象徴)の強みです。
今回のプログラムは、アリスの世界にちなんで、誰もが持っている様々なキャラクターを自分の心の世界に見出し、それを解放するプロセスを辿りました。文字通り、不思議の国への冒険です。ゲーム感覚あふれるプログラムは、何が起こるかわからない未知の出来事の連続。好奇心と勇気だけが唯一のツールです。でも、今年も不思議なシンクロやミラクルの連続と感動の体験が待っていてくれました。
参加者全員が迷宮に捕らわれていた子供と繋がり、解放に導くストーリーを創造したのです。あらためて、グループワークが持つパワーの素晴らしさを再確認した5日間でした。
ところで、子供時代の私の愛読書は、「長くつ下のピッピ」でした。
ピッピも、アリスと同様自由な子供なのですが、もはや自由を通り越して破天荒という表現がピッタリ。
彼女は9才の少女にして、怪力の持ち主。ごたごた莊という一軒屋にチンパンジーと馬を連れて一人暮らしをしています。(チンパンジーや馬も、彼女にとってはペットと言うより家族なのかもしれませんが…)
そして、世間の常識やルールなどお構いなしに、自由気ままに好きなことをして暮らしているので、大人達からは煙たがられ、嫌われるのですが、本人は至って気にしない様子。大人になった今では、それがファンタジーの世界だということはわかりますが、その当時は、そんな子供が外国(ピッピの物語はスエーデン生まれ)には、本当にいるんだ…と、信じていました。
ピッピはそんなキャラクターでしたから、規則嫌いだった当時の私にとって、彼女は理想のプリンセスでした。
とは言え、社会の大人やそれに従う子供達をみんな敵にまわしたくなかった私は、表面上は大人しくしている時もありましたが、そうしているうち、だんだんと社会の仕組みに巻き込まれ、ラットレースに参加するつまらない大人になっていったわけです。
私がその不自由なレースから抜け出すための手がかりが、自己欺瞞~自分が自分を偽っていることに気づくことだったのです。
本当にやりたいことから逃げているのではないか?(失敗が怖い)ネガティブな感情を誰かのせいにしていないか?(責任をとりたくない)怖れそのものから逃げていないか?…などなど数え切れない欺瞞を抱えたまま、気づかずに生きていたことに…。
本当の自分を生きるためには、まず見せかけの自分に気づかなければいけません。アリスの世界の住人や社会の歯車に蒔かれて生きる人々のように、幻想を信じ、人を批判したり、人のせいにして生きることをやめることが先決です。
それは、本当の自分の人生を生きていることにはなりません。アリスやピッピは、その幻想を見破った勇気あるワンダーチャイルドでした。
インナーチャイルドワークは、傷ついた自分を癒す旅ではありますが、それは始まりにすぎません。旅は、子供の自分が大人になっていくストーリーではなく、永遠のワンダーチャイルドに変容していくプロット(物語)なのです。
もしも、あなたが自分の人生に満足していないとしたら、それは誰の仕業でしょう?
それは、親のせいでもなければ、社会のせいでもありません。むろん、それを選択した過去の自分のせいでも無いのです。大切なのは、犯人を捜すことではなく、古い観念に囚われた自分を見つけ、それから解放してあげること。
本当の自由とは、あらゆるものから独立していること、つまり真の自立、自主独立した在り方の表れです。
それは、子供であろうと、大人であろうと、心の状態がそれを示します。
あなたが、本当に自由を求めるなら、もう自分から逃げるのをやめるしかありません。
自立し、本当の自由を手にするためにできること。
それは、内なるフリーエネルギー源を思い出すことだけなのです。
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