【解釈という真実】対話〜ダイナミック・ダイアローグWSを終えて
最近、読んだ本をきっかけにいろんなことを気づかされました。
それは、魂とか神について書かれていたものでしたが、その本の内容と言うよりも、そこに書かれている真実(と書かれているもの)が、これまで私が思っていたものと、根本的にくいちがっていたこと。しかし、その本の中で語られている他のほとんどの事が、共鳴することばかりだったので、混乱してしまいました。
さて、真実はどちらだろう?
物理学などの形而下学の世界では、真実つまり事実とは、想定する仮説を検証していくことで立証できたものが真実となり得るわけです。
しかし、私たちにとって、真実を探ることがそれほど意味のあることでしょうか?
むしろ真実を探すことは物理学者や科学者に任せておいて、私たちは対話を通して理解することを学ぶことが大切なのではないかと思うのです。
かのアインシュタインも、同じく20世紀を代表する物理学者ボーアと出会い、物理学について活気に満ちた討論を戦わせながらも親交を深めた後、とうとう決定的な想定の相違に行き着いた結果、親交は決裂したままその後ふたたび対話を持つことはなかったそうです。
このエピソードは「ダイアローグ」というデヴィッド・ボームの本の中で紹介されていますが、この本との出会いがあったおかげで、先の混乱をなんとか抜け出す術を思い出しました。
真実について想定するとき、そこにはあらゆる視点について受容、許容する意識の柔軟さがもとめられます。
真実を理解するための想定、つまり考えに費やされる言葉(言語)も、限定的で解釈の違いによって、歪曲される恐れがあるのです。
すると、何が真実か、解らなくなることはとても自然なことなのでしょう。真実というのは信じている想定に他ならないということ。つまり、真実でさえ、解釈が変わればいかようにも変化するものなのです。
しかし、人間はこの真実について、やたら議論をしたがるものです。人が10人いれば、10の解釈=真実があるはずなのですが、どうもそれでは納得いかないようです。どちらが真実か?という二元論的な解釈に捕らわれ論を戦わせる議論、討論が繰り広げられています。
デビット・ボームは、この議論や討論の場で、話し合いに参加する双方が満足する結果を得られることは不可能だろうと言っています。ボームの提唱するのは、議論でもなく、討論でもないコミュニケーションとしての「対話」でした。
さて、対話について考えて見ると、いろんな気づきが生まれてきます。
ディスカッション(議論)と対話はその性質が異なり、前者は真実や答えについて論じる目的は勝者を決めることにありますが、後者には勝者は存在しないということです。
最終的に一つの共有する真実について共鳴し合う瞬間に一つのゴールが存在し、この状態のことをボームは「コヒーレント」(調和、一貫性)という言葉で表現しています。
一つの真実が別の真実と台頭するとき、それは真実というより、一つの想定として扱うほうが無理がないのです。
その一つ一つ、ばらばらに存在している想定の糸を調和する一つの絆へと変容させることができるのが、対話というコヒーレントなエネルギーの場なのです。
そんな事を思い出して、一つの本の真実について振り回されていた私の頭は少しばかり柔軟さを取り戻すことができました。
この対話というスリリングなプロセスをテーマにしたワークショップを終えてから、早くも一月が経とうとしています。
9月のはじめ、ファシリテーター講座シリーズの中の大きなテーマとなっているダイナミック・ダイアローグ(対話)のワークショップは、その名のとおり、対話の持つエネルギーのムーブメントを体験したような熱気に満ちた時間でした。対話の場は本当に面白い。
対話のサークルの中で、人間のエゴは隠れたり、つっぱったり、いろいろする。(笑)この居心地の悪い、またはワクワクする場の中で、皆自分自身の内面とも対話をしているのです。人と向き合うことで、やがて自分との対話がはじまる。そして、対話のもつコヒーレント(調和・一貫性)のエネルギーが、自らの可能性を広げ、あたらしい想定(視点)を獲得するチャンスを与えてくれるのです。
思えば、皆あの場で、それぞれの想定(真実)について持ち合い、落ち着ける着地点を模索していたのだろうと思います。
真実を戦わせるのではなく、対話することにコミットすることで生まれる、協力する喜びを味わうと言うことが、新たな真実との出会いを創造するのでしょう。9月はそんなエネルギーに満ちたWSが満載でした。
これから深まる秋と共に、ゆっくり振り返りながら、生まれてくる思いを伝えていきたいと思います。
先にご紹介したデヴィッド・ボームの「ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ
」はこれからの未来にむけて、大切なことを教えてくれるバイブルのような本でした。ファシリテーションを学ぶかた、コミュニケーションについて理解を深めたい人にはお薦めの一冊です。