参加者の声【魂の響・真我の彩 2016】-3
感情を、「息・声」にして出すワークをしたとき、以前は、頭の片隅のどこかに 「一生懸命やっているふりをして、どこか冷めている自分を冷たい目で見ている自分」が いた気がするのだが、今回はその人が消えていることに気づいた。
出てくるに任せて、声のボリュームがどうであろうと、やっている顔や体がどうなっていようと そのまんま出せていた。それはきっと、本当にその場にいる人たちを信頼することができたということで、 つまりそれは、「みんなを信じる自分自身」を信頼することができた、ということだと思う。
かつて無意識にやっていた「自分を取り繕う」作業をせず、ただそのままでいること。 そうしているときの、ほっと力が抜けるような安心感。 他の参加者の皆さんに対して、防衛することもなく、見栄を張ることもなく、 ありのまま、ただそこにいて、力まずに笑っていられる自分を発見して、とてもうれしかった。
その後もプロセスは続いている。 「表現する」とは、自分の中から湧いてくるものを、デコレーションもせずパッケージにも入れず ただその場にいる人に開いて見せる、ということなのだ、と改めて感じた。
そして、その行為そのものが、自分自身を尊重し、エネルギーを循環させるのだということも、 体感として感じた。
[53才 女性]
■ ワークショップデータ