行く春たちへ
春は、いつもその霞を味わうことすら忘れてしまうほどいろいろな始まりや別れの気配の中過ぎ去ってしまいます。
毎年、オリンピックセンターの桜を眺めながら、いくつもの春を見送って来ました。
この季節、毎年秋から続いていた専修講座が終ります。
たった半年の時間の中で、この教室で学んだ人達の成長はいつのときもめざましく、冬の間、じっと地に根をはりようやく目覚めるように咲き誇る桜の花のようです。
もちろん半年の間に、すべての問題や取り組むべき課題が片づくわけではありません。それでも皆は、相変わらずの日常の問題に手を焼きながらも、その顔にはどこか自信にみちた力を感じるのです。
自分自身の問題と精一杯、身体と心が一体となって取り組んだ日々の時間は、怖れを掴んでいたその手が、いつしか勇気をつかみ取る力へと変わったからかもしれません。
迷いながらも一つの目標に向かってすすむ価値を、この講座を設けてからよくよく感じます。たった1日の体験では、解らないことがあります。
それは変化という、プロセスを辿ることでしか体験できない気づきがあるからです。
この気づきが己を多角形として認める機会となり、流れを見つめる洞察の目を育ててくれるのでしょう。何よりも、私は常に彼らの姿勢から「信頼」を学ぶのです。
それは、例外なく、ここで出会った人すべてが本当の自分を見いだす瞬間に立ち会えたからこそ。
この場所で、濃密な自己探求の時間を過ごした人は、ふと垣間見た自分の源に在る多角形の光(リソース)を見たことでしょう。そして、その価値に値する人生を持って生まれてきたことに気づくのです。
そして、これがゴールではなく、これから歩んでいく広大な人生というフィールドを高見から見物するひとときの憩いとなるはずです。
どんなに頑張っても変わらない自分。
軽くならない心や手放せない想い。
抱えてきた重いその自分という荷物をようやく肩からおろし、一息つくとき。
ああ、この自分とこれからも生きて行くことを受け入れ、「焦らずに行こう」そう思えた時、これからの人生を少しだけ楽しみに感じられるようになるのかもしれません。
さあ、ここで少し深呼吸して次のステージへと跳ぶチャンスが来たようです。
誰よりも、この時を一緒に過ごした自分自身の心に、身体に感謝をこめ、手放すときが来た心の痛みを春ともに見送ってあげてください。
春が行っても、みなさんとの時間を忘れられそうもありません。
あなたたちの横顔はいつのときも光を放ち、支え合う人さえも照らしていたことを。
その瞬間が記憶の引き出しに入っているから…。
ここで出会えたみなさん、沢山の感動をありがとう。
また いつか逢いましょう。
愛と共に
吉田エリ
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