Design me〜自己をデザインするワークショップを終えて
<amu>というクリエイティブ・スペースがあるのをご存じですか?
amuは「編集デザイン」を通して、日常の世界に「知」を創ることをテーマに、様々なイベントやワークショップを企画し、提供している空間です。
一般的に「知」というと、知識や学問というイメージがありますが、amuの中で捉えられている「知」とは、「知る」というアプローチが主なコンセプトなのかもしれない、と私は感じています。
「知る」とは、経験に繋がります。情報や知識として「知っている」ことよりも、経験を伴った「知る」は日常の世界に根ざしていく印象があります。もしかすると、人間は体験したことがないことを「知っている」とは言えないのかもしれません。
amuの空間は、恵比寿の駅からほど近い都会の喧噪の真っ直中にありながら、まるで隠れ家のようにひっそりとした静寂を保っています。
<シンプル>という言葉が似合うその空間で、amuのコンセプトとなっている「デザイン」と表現アートを体験できる、”design me”自己をデザインするワークショップを提供することになりました。
かつてデザインを生業として生きていた頃は、目の前の仕事をこなすことに夢中で、「デザインとは何か?」などと真剣に考えることはなかったように思います。
今回、あらためてデザインについて問い直していくうちに、自分の忘れていた側面を取り戻すきっかけができました。
バブルの崩壊後、デザイン自体の価値が大きく変動して行くさなか、そのプロセスもまた多くの人の手によって編み出される作業から、デジタル化された作業へと急速に移行して行きました。そんな変動期にデザインの世界に携わりつつも、「デザインて、何だろう?」と、あらためて考えたことはありませんでした。
デザイナーにとって、生き延びることが厳しくなりつつあった当時の社会情勢を考えると、恐らく、「デザインとは何か?」と問うより、「なぜ、デザインを続けるのか?」について思い悩んでいたのかもしれません。
ミレニアムを過ぎる頃、表現アートの世界へと惹かれ、いつの間にかデザインのフィールドから遠ざかっている自分がいました。
そしてしばらくは、デザイナーであったアイデンティティーを返上し、新たな世界で自分の可能性を試すことに夢中で過ごしていたのです。
そんな自分を振り返り、自分はデザイナーよりも、表現アートのファシリテーションが天職なのだと思うようになりましたが、今回あらためてデザインについて考えてみると、自分で思っていた以上に、デザインに影響を受けていることに気がついたのでした。
デザインの持つ大きな要素の一つに、「コミュニケーション」があります。この要素は、表現アートのワークの中にも共通するものが沢山あることにあらためて気がつきました。
表現アートセラピーのアート表現は、一般的な「アート」の個人的な表現の枠を越えて、分かち合う(シェアリング)というプロセスを大切にしています。自分の表現を誰かと分かち合うことで、新たな発見に繋がる体験は、インタラクティブなコミュニケーションそのものなのでは?と思うのです。
一方、デザインは個人の表現としてではなく、そのきっかけが社会という枠組みの中から生まれ、共有する空間の中で育まれるという本質を持っていることから、デザインと表現アートとの関わりが見えてきたような気がします。
さらに、デザインとは何か?と考えてみると、私たち人間は無意識に自分をデザイン、編集している存在なのかもしれないという発想が湧いてきたのです。
もしかすると、自意識はデザインそのものなのかもしれません。
コンセプトは「概念」と訳されますが、デザインやマーケティングの世界には、コンセプトがつきものです。
人間は、「自己概念」という、自分を形成する考えやイメージを持っているのですが、これはコンセプトにあてはまります。つまり「自分とは誰か?」という問いの答えが「自己概念=セルフ・コンセプト」そのものだと言えるのです。
最近は、コンセプトよりもデザイン重視の商品が出回っている印象があります。例えば、シールやステッカーからファッションなど。
機能性よりもデザイン性で消費者の心をつかもうとする物たちが、現代のマーケットには溢れています。
これを自己概念(セルフ・コンセプト)に当てはめてみると、自分がどう在りたいか?を重視するよりも、自分をどう見せたいか?が人々の関心の的になっているかのようです。
それが良いか悪いかは別として、自分をアレンジする時にも、おおよそ無意識にこの作業が行われているような気がするのです。
そこで、今回のワークショップでは、無意識に行われている自己表現を、意識的にすることにチャレンジしてもらおうと思いました。
参加者それぞれが、自己イメージを三角柱(プリズム)の立体の中に表現することで、今の自分を再確認し、さらにこれを解体・再創造「リ・デザイン」するプロセスを体験していました。
そして最後には、「自分とは誰か?」という問いの答えをプリズムの中に見つけるという、心の温まるフィナーレを体験することが出来たのです。
私が最も感動したのは、参加者の誰もがリ・デザインの行程を実に楽しみながら、時にはドキドキしながら、夢中で取り組んでいる様子を見られたことでした。
実は、ラストのキャンドルワークは、参加者の人達の熱中する姿やデザインに触発されて思いついた即興の演出でした。
こんな風に、参加者との間に、行き交うエネルギーの交流を楽しめる表現アートのワークショップは、いつの時も楽しくワクワクできる実験室のようです。
この瞬間を体験する「今」にフォーカスしながら生きることは、過去の経験を活かすことに繋がるのだと思えます。
amuの空間で体験したいつもと違う表現アートのワークショップ。
沢山の方に協力をいただき、無事に終えることができました。
いつの間にか、デザインから「足を洗った」自分が、気づくとデザインというフィールドに根を下ろすという夢を見た一夜でした。