参加者の声【テクニカル集中講座 2025】表現アートセラピーを思いっきり体験
とても勇気が必要だった。とても怖かった。
いつも理想ばかり大きくて、表現したい気持ちと相反して表現する怖さをいつも感じていて、行動出来ない自分が嫌だった。
自分は何を必要としているのだろう。今の自分は、過去の自分は、そして未来の自分は?
わかるようでわからない。
ただわかっていたのは自分をしっかり感じたい。体験しないと何もわからない、ということだけ。
今回体験するのに、まっさらな紙のような自分でのぞみたいと思っていた。
自分というスポンジはどこまでこの体験を吸収できるだろう、そんな気持ちを胸に北軽井沢のアトリエへ飛び込んだ。
初日から体験した5日間は、言葉にうまくすることがなかなか難しい。
スルスルと手のひらからこぼれ落ちていく砂のように、一瞬一瞬を留めておきたいのに
流れていく時間が惜しいほど、宝物の体験になった。
思考人間の自分らしく、ワークに取り組んですぐに思考が出てくる。
感覚で描きたい、表現したいのに思考に邪魔され、もどかしかった。
5日間のワーク全て1つ1つを通して、だんだんと、気づけば思考ではなく自分の感覚や心に任せて描いていた。
表現、パフォーマンスする、ということは自分にとっていつも「誰か」のためであることが多かった。
「自分の表現を自分のためにやり切る。」
頭で理解が追いつかず、そして頭でまた理解しようとする自分がいた。
もう振り返らなくても大丈夫だと言い聞かせ、課題を認識しているのに逃げる、見たくない自分を見る。
本当は何を望んでいるのか、ブロックとなっている原因の「しこり」を掘り起こすためのシャドウワークは、とても辛かったけれど何より必要としていたことでもあった。
なぜそれに立ち向かえたのか、それはともに集まった仲間の存在無しでは出来なかったこと。
その場にいた全員が全力で自分と徹底的に向き合う、その熱量、その真剣さが大きなエネルギーを生んでいた。
ここには誰一人ジャッジをする人はいない。
辛いことに向き合う勇気をもらい、自分の怖れを越えてパフォーマンスをする。
相互に純粋な気持ちだけで全員が全員自分と真剣に向き合い、そして全力で仲間を応援する。
完全に安心、信頼をできる空間・場を全員で創り上げていた。
全員が一人のために、1人が全員のために、その場に存在していた。「いま、ここに在る」ということがどういうことなのか、わかった瞬間だった。
あの光景は忘れられない。
みんなが創り出した色やカタチや音や動き、共有した笑顔や涙、苛立ちや怒り、悔しさ、哀しみといった感情表現、
その全てが愛おしく、人それそれが持つ唯一無二の個性と創造性、そしてこの特別な時間の美しさに心が震え、涙が止まらなかった。
ふと過ごした光景が今も思い出される。その時に自然と温かな気持ちに包まれる。
アトリエの天井に垂らした無我夢中で描いた絵のタペストリーの下で、心がほぐれ身を預けられたピアノの音色、自然と踊り出すみんなの姿。
楽器を手にして即興演奏会の朝時間。
心と心が触れ、人が持つ様々な感情が全て尊いものだと知った5日間。
感情に飲み込まれたり、支配されたり、恐れや疲れで忌み嫌っていた価値観がガラリと変わった。
人は人の感情を見たいし、心を感じたい。それが自然なんだ、と今、普段の生活に戻り実感する。
自分の感情も他者の感情にも寛容になれたこと。そして表現すること、行動することへの恐怖心を越えて、新しい自分が楽しみになった。
何より行動することにワクワクしている自分がいる。
この社会で必要なこと、自分ができること、やりたいことが繋がり結ばれたこの夏。
ここで出会えたかけがえのないメンバー全員に、大きなサポートとずっと手を離さず伴走してくれたファシリテーターの全員に、
ずっとずっと温かく見守ってサポートしてくれた麻衣子さん、エリコさん、
そして大きな学びを、この体験を、このアトリエを作ってくれたエリさんに、心からありがとうございました。