参加者の声【むすひのまつり2025 in 北軽井沢】産神
VOICE / 参加者の声
産神
“完璧主義で、頑張ってないと不安だったし、矛盾している事は大嫌いだったけど 矛盾していいし、黒か白か決めなくていいと分かりました。全てが本当にありがたく 幸せになるんじゃなく、幸せにきづく経験となりました。”
今回のワークショップはすごく楽しみにしていた反面、なぜか気が進まないなぁという感覚との葛藤のなか、車で北軽井沢のアトリエへ向かいました。
道中、10月に来た時よりグンと木々が紅葉していた事も、時間の感覚を感じさせました。
前回のワークショップが昨日のことのように感じたり、すごく前のことのように感じたり、時間感覚がフワフワしていました。最近そうなります。
私は何がしたいんだっけ?
皆んなとまた会いに行きたいんだっけ?
マイキーの美味しいご飯を食べたいの?
でもまた合宿か、なんか少しだけ面倒くさいかも、、そんな感じでした。
ところが、初日のシェアの場になったら突如、JOY、喜びの感情が出てきて、
あぁやっと自分に向き合える。
やっと自分を感じてあげられる、それを許可してあげられる。
そう思って、いきなりワクワクの波動に変わりました。
普段の生活、とくに仕事の場では自分の感覚をシャットダウンしてる事が多いんだな、ということにも実感しました。
最初の1,2日は、ネガティブな欲求、妄想からくる思い込み、恐れや不安をみていきました。
何が自分を幸せにできてないのか?を見ることは、慣れて来たとはいっても楽しい作業じゃない(だってそれは自分がやってるから)。
けど、ジャッジせずに、ただ見る、ということがどれだけ大切で、普段できてないこと。
そして、それも自分の一部だと受容することをしたり、絵に表現してみることで一度自分からその感覚を取り出してあげると、見る、ということがやりやすく思えたし、そして自分は幸せになることが心底怖いということにも気が付きました。
我欲にまみれた自分に慣れ親しんでいるし、それで安全だから。
コンフォートゾーンにいたい。
でも自分のどこかに、もっと成長したい。
突き破りたい、もっと表現したいし、自分とも人とも本当はもっともっと繋がりたいという、純粋なニーズもすごくあって。
だから毎回、ワイエスに来る事を選択してるんだなって思いました。
わたしは、わたしの選択に信頼感が増す事を毎回感じます。
そして始まった2日目、3日目の制作。
シェアもなく作業をしてはご飯をいただいて、また創る。
何かを創造するのは本当に自分に向き合うことだと思いました。
納得いかない、、まあ、もうこのくらいで良いか!とか、途中ぼんやりしてしまったり。
いや、そのあと急に思いついてチクチクやり始めたり、色を加えたり。
私はこの2日間がとても苦しくて、そして楽しかった。
そして、この世に唯一無二のわたしの神殿が出来た。
さあ神になる時がきた。
作った衣装と冠を纏い、神楽鈴を持って、娘がインスピレーションでフェイスペイントも描いてくれた。
鏡で見たその姿は不思議な、なにか架空の動物のようだった。
でも、まんま自分のエネルギーだな、と思った。
悪戯が好きな妖怪や、または精霊のようだった。
亥士さんの太鼓が身体に響いてきて、会場に自分と皆んなのエネルギーが渦巻いてるのが分かった。
鏡の自分はよくみえないけどボンヤリ、秋分の瞑想で円盤から降りて来た人に似ていたのに驚いた。
エリコちゃんの舞は美しくも生々しくも、神々しくもあった。すごかった。
ありたくない自分とありたい自分が合わさってみえて、そのあとエリコが叫んだ時に、涙が溢れた。
どう踊ったか覚えてない。
誰かとすれ違ったが、誰かもわからなかった。
ただ魂の思うがまま、動いてた。
夢中で、三昧な状態だった。
自分を神と喩えるなど、おこがましいと思っていたが、ありのままの自分は、全てであると同時に何ものでもないと感じました。
そもそも、完璧主義で、頑張ってないと不安だったし、矛盾している事は大嫌いだったけど、
矛盾していいし、黒か白か決めなくていいと分かりました。
それが愛であり源であり、神なのかな?と。
しかしながら、、、
3次元の私のボディは限界を迎え、翌朝には喉が枯れ、おそらく高熱が出ていました。
幸せはあらゆるところに散りばめられている。
窓から見える美しい風景、皆んなの笑い声、暖炉の暖かさ、ご飯からたちのぼる湯気などに、感極まってしまいました。
全てが本当にありがたく、幸せになるんじゃなく、幸せにきづく経験となりました。
わたしは自分を受容するのが苦手ですが、少しずつその道を歩んでいるな、って思ってます。
このプロセスがこの地球での人生。
とても嬉しいです。ありがとうございました。
この参加者が受講した講座
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