参加者の声【インナーチャイルドWS in 葉山 2024】わたしの内側のわたし

私には「問い」が無いらしい。
「問い」とは何だろうと考える。
考えながら ふと気がついたことがある。

私はもうずっと何年も考えていない事に気がついた。
そういえば私は何も考えていない。
日常に追われ、自分の体調を整えるので精一杯で、何一つ考えてない。

私は選択を他人に委ねている
私は判断を他人に委ねている

全てを他人に委ねているから、私は何一つ自分の頭で考えていない。

私はワークショップに参加することで変わりたいと思っているけれど、少し違った。YSのワークショップに私を変えてもらおうと思っているのだ。私が自分の力で自ら変わるのでは無く、他人の力で私を変えてもらおうと期待しているのだ。

私は自信が無い
私は自分を信じていない
だから私は決断できないし、行動も出来ない

選択も決断も他人に委ねたら、私はそれほど傷つかない気がするのだ。

私は自分の人生の主役だと感じたことがない。
私は私の人生の脇役なように感じている。
私は何も考えず、選択も決断もせず動かないから、私の周囲の人間の人生をぼんやりと見ているだけだ。
観察すらしていない。

だがそれは錯覚だったのかもしれない。
だって私はすでに選んでいる。
私は選択も決断もしないという事を選んでいる。
最後は私が選んでいる。

どうやら私は選択を間違えていたらしい。

私は人生の優先順位を間違えていたことに今気がついた。
私が1番優先しなければいけないのは私がワクワクする事を選ぶ事だ。私が1番楽しいと感じるものを選ぶ事だ。
それなのに、なぜかワクワクするものから自分から離れてしまう。
なぜだろうか。ワクワクするものから何故自ら離れてしまうのだろうか。私は「わたしの内側」について分からないことが沢山ある。

「わたしの内側のわたし」が私の中から出ようと出ようとしているのを私は必死で抑え込んでいる。
何故、「内側のわたし」が出てくることがこんなに怖いのだろうか。このまま死ぬまで我慢を続けられるだろうか、それとももう我慢の限界が近づいているのだろうか。

今感じるのは、そろそろ私は自分で考えて決断して、自分の人生の舵切りをしなければいけない気がするということだ。

こんなに沢山のこころの話をするのはアトリエワイエスに集まる皆んなとだけだったりする。
生まれて初めてと言っていいぐらい、私は沢山の人と話している。
ワークショップ中は緊張とホッとする瞬間の繰り返しだ。

私が緊張する瞬間の1つにエリさんとの対話もあったりする。
私はエリさんの目の前に立って話すと居心地が悪くなる。
私の全てを見透かされてる気がするからだ。

私は高慢な人間だ。
承認欲求もかなり強い。
その上、私は人間としての深みも無い。
だから恥ずかしい。
私は恥ずかしい人間だ。

ワークショップが終わって日常に戻ってから、やはり気付きが沢山やってきた。
そしてその気付きがあった後、しばらくワークショップに参加するのはやめようかなと思ってしまった。
私は「逃避」しようとしているのだ。
丸裸になった自分を見られてしまった事が恥ずかしくて仕方が無いのだ。 

それでも、これからもYSのワークショップに通う未来が想像出来る。
丸裸になった自分が恥ずかしくて仕方が無いのに、私はきっと学びに行くんだろうと思う。

私は「わたしの内側」で起こっていることをもっともっと知りたいから。

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