脅したり、威圧的な態度を取る人や自信満々な人は、本当は怖れを感じているのです。しかし、多くの場合自分では気づきません。
ある時、そのパフォーマンス(虚勢をはることや、居丈高な態度)が上手くいった経験があるのでしょう。それは、まるで動物が怖れを感じて威嚇するのと似ています。
しかし、ここはサバンナやジャングルではないので、そんなに緊張する必要はありません。
投稿者: Eri Yoshida
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相手に意向を伝える時(Noと言ったり、意思表示をするとき)語気を荒げたり、威圧的になったりする必要はありません。また、「嫌われたっていい!」と開き直ったり、決心をしなくてもいいのです。
ただ、そうだと言うだけ十分です。だって自分の意向を伝えるだけなんですから。同時に、相手の意向や希望を聞く余裕も同じくらい大切です。
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理不尽な経験をしたとき、その相手に対して反発や仕返しをすることで、自分の怒りを解放することがあります。
それが出来なかった人は、その怒りを恨み続ける(忘れない)という意識で、復讐をします。そうしたくない人は、自分にその怒りをぶつけることで(罪悪感として)相殺しようとします。いずれも、自滅行為に違いありません。
そのエネルギー(恨みや罪悪感)は、やがて、病気や望まない人間関係として現実化してしまうのです。
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初めての経験は強い刺激がありますが、継続すれば次第に慣れるものです。どんな体験にしろ、いつまでも同じ刺激が続くわけではありません。
そう思って出来事を観察してみたら、どんな体験も抵抗したり、執着する必要はなさそうです。
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「こだわる」ことは、良く働くもあるし、悪く働くこともあります。例えば、自力で出来ることでこだわりを持つことは、スキルアップや成長につながります。
しかし、過去の出来事だったり、他者に対するものだったり、自分の自由にならないものにこだわると、不自由な上に、沢山の制限を作り出してしまいます。
こだわること自体は、本来、良くも悪くもないのですけど。
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自分の価値を認めるためにできることは、頑張ることではなく、誰かと比べることでもありません。ましてや、人を否定することでもありません。
それは、自分に抵抗することを止めて、自分の在るがままを観察することからはじまります。