308

間違っていることをしている時、誰もそれに気づいていません。確信犯でない限り、たいてい自分は正しいことをしていると信じています。
しかし傍から見ていると、しばしばその間違いに気づくことがあります。間違いを指摘したり、正そうと批判しても、その相手は認めようとせずに対立が起こります。それはもっともなことで、その人は自分を正しいと思っているし、万が一間違っていたとしても、それに気づきたくないと暗に思っているのですから。

間違いを批判して、その人を指さすとき、人差し指以外の指が、自分に向いているのは、「お互い様、皆同じ間違いを起こしているのに気づきなさい」という意味があるのです。

307

感謝することが出来る人はラッキーですが、不満の種を探すのがうまい人は不運です。気に入らないことばかりが目につくのですから大変です。不満をあげつらうことができるのは、目が高いからでも、正直だからでもありません。単に、価値に気づくことができず、視野が狭いだけなのです。

そして、不満を言う人は、他の人に同意を求めます。まるでウイルスをまき散らすように。もしかすると、自分だけ不幸なのは寂しいのかもしれませんが、だれもが愚痴っぽくなるのは楽しくないでしょう。だって、皆人の不満や愚痴は聞きたくないのですから。

306

感謝とは、礼儀ではありません。それは能力です。起こっている出来事や物事の価値が解る人や、認知能力が高い人が感謝することができるのです。

反対に成長過程の人はその能力が足りないので、感謝することができません。たとえば、赤ん坊はダイアモンドを見ても、喜びません。自分が楽しめる物がまだ少ないからです。
だからと言って、赤ん坊が愚かという意味ではもちろんありません。

単に、感謝することができるのは、無条件であらゆるものの価値を認め、受け取る能力に長けているからだと言えます。良い事があったら感謝する。それは誰でもできます。当たり前のことに感謝できるとしたら、それは視野が広いという印。

ネガティブな出来事にさえ感謝できるとしたら、それは上級者です。普通なら、失ってみないと価値が解らない場合が多いものです。

あなたは、今日幾つ感謝しましたか?あなたは何に価値を見いだし、受け取りましたか?その能力は、幸せになるのに役立つ能力でもあります。

305

あなたが行動すると、あなたの周りのエネルギーが変化します。あなた自身も変化します。あなたが出会う人も、場所も変化するのです。あなたはそれほどパワフルな存在なのです。

なのに、どうして自分が無力だと思うのでしょう?それは人から認められないと思い込むから?人が期待通りに対応してくれないから?世界に影響を与えられないから?

304

人を責めるか、自分を責めるか、やじろべえのように、エゴはいつも綱渡りの毎日を過ごしています。そのどちらもしたくない時は、うつになってすべてを放棄してしまいます。
そもそも、抵抗さえしなければ、そんなシビアな選択をしなくて済むのですが、思い込みが強いとそうも行きません。難儀なことです…。

どうでしょう? 選択肢に、一休みして、誰もが楽な方法がないか、調べてみるのは?

303

苦しみとは、起こっている現実を受け入れられず、抵抗するときに強まります。そして、自分の中から涌いてくる感情を止めようとしたり、否定することで長引きます。
どんなにネガティブな考えや感情であっても、一旦起こったのなら、その原因をつきとめようとせずに、ただ見つめる(ぼんやり見るだけでもOK)だけでいいのです。

その時は、ただ今ここに居る自分をちゃんと確認し、ゆっくり呼吸しながら過ごしてください。