258

内なる源を信頼したり、内なるハイアーマインドの言葉を信じたいと望んだり、内なる良心に従って行きたいと願っても、そうあることが難しいのは、自分の中に凝り固まった古いパターンの観念体系の宇宙から出ることが出来なくなっているからなのです。

古いパターンに慣れ親しんだ自分は、「古いパターンを変えたい」という気持ちと、「面倒くさいし、変わらないほうが楽」という思いとの間に挟まれて、葛藤しているのです。次第に、葛藤のストレスで、身動き出来なくなってしまいます。しかし、思い出してください。変化とは、信じたいものに意識を当て続けた時に起こることを。パラダイムシフト(変化・変容)は、変化への願望が起こしてくれるものなのです。

257

どんなに神を信じ、ソースエネルギーを信頼していても、それらが自分の内に宿っていると信じられない気持ちになります。それを信じたいと願っても、エゴは圧倒的に経験したこと(見聞きしたこと)しか信じようとしないから。

しかし、経験していないかといえば、どうでしょう?エゴは、経験したことを、気づかずにいるだけだとしたら…。

神の愛やソースエネルギーが常に側にいても、それが見えなければ、経験していることにはなりません。物質的な事ばかりに気を取られていても、目に見えないエネルギーの存在に気づけないからです。

256

エゴはパワーを欲しがります。それはコントロールにパワーが必要だから。
多くの人がパワーのシンボル(お金・愛)を求め、終わりのないレースやゲームに挑みます。

しかし、結局、真の勝者がいるとしたら、闘いやパワーを取得することをやめた人に軍配があがるのです。パワーは既に自分の内にあると気づいた人が、真の勝者です。

255

ネガティブパワーが自分の中にみなぎってくると、ネガティブな状況(競争、対立、抗争、征服、犠牲)を求め、行動することがモチベーションになって来ます。いつかそれが、面白い、必要だと感じるようになるのです。気づくと、そんな環境や状況はストレスがかかるのに、自分を止めることができなくなります。それらの状況は、怖れに基づいた行動によってもたらされているので、永遠に満足することはないでしょう。

254

エゴは常にコントロールしたいと願います。自分が主導権を握り自分が好むようにコントロールできれば、自分の元にパワーを集められると思い込んでいます。パワーを集めることで、自分がパワーの源なのだと錯覚しているから。

しかし、それは間違った考え方(錯覚)だと言えます。その方法だと、足りないものを奪い合う状態を世界に作り出してしまいます。次第にエゴは自分で作り出した幻想のドラマにはまり込み、いつ自分のパワーが奪われるかを心配する日々を過ごすようになります。(いつも、自分が奪うことばかり考えているので、他人もそうなのだと信じているのです)

そんな、ストレスの日々を過ごすことが、源と一体になっている存在とはいえるでしょうか?

253

理解されない憤りを相手にぶつけても無駄です。誰だって、責められたら受容的なモードにはなりませんから。そんな風にされれば、誰もが心を閉ざしてしまうものです。誰かに理解されたいと願うなら、まず自分が心を開くことが先なのです。もしも、心を閉ざしたまま、心の地下牢で籠城していても、誰も気づいてくれないか、放っておかれるだけです。

しかし、そんな気分の時に籠城しているところから、投降してくるのは難しいでしょう。まずは、自分が何を解ってもらいたかったのかを、自分で理解してあげることから始めましょう。心を扉を自分にむけて、明けてみましょう。何かが見えてくるかもしれません。