194

「あなたは誰ですか?」
あなたはもしかしたら自分の名前を思い浮かべるかもしれません。

しかし、「あなたはその名前を授かる前は、誰だったのでしょう?あなたはただの肉体ですか?」
だとしたら、あなたの肉体が生まれる前や、死んだ後はあなたは居なくなってしまうのでしょう?

「肉体が無くなって、すべてが無くなるとしたら…あなたは、誰ですか?」
すると、あなたはこう答えるかもしれません。
「私はこの肉体であり、心であり、魂です。」
だとしたら、あなたはそのうちのどれか一つ(誰か?)ではないのかもしれませんね?つまり、自分はそれら存在のすべて(源)だと言えませんか?

もしも、あなたが存在のすべて(源)なのだとしたら、何故この世のあれこれを思い煩うのでしょう?

193

最悪な出来事(のように見える時)の中にも、何か良いことが起こっているものです。
その少しだけよかったことに意識をむけて、くつろいでみましょう。
何でこんなことが起こっているのかと、意味づけに忙しく頭を働かせないことです。
無理にポジティブになろうとしたり、出来事を良いことにすげ替えようと、頑張る必要などありません。ただ、少しだけ違う方向に意識をむけることが、助けになります。

192

自分を無条件に愛したいと思うなら、自分が好まない自分の部分を受け入れていくことです。自分を変えようとしたり、見ないようにしても、永遠に本当の自分になど出会えません。

それは、まるで三日月に憧れて、月に行くようなものです。無条件の愛を体験したいなら、自分に対する制限を、規則を、条件づけを手放して行く必要があります。

ただ、「手放す前に、どんな限定をしているのか?」「何を条件づけているのか?」を調べて、認めることが先決です。

それをやらないまま、ただ「無条件に愛したい」ということを願っていても、願いは達成されません。だって、プロセスをおざなりにしているのですから。

191

迷うということは、それ自体悪いことではありません。迷うこと自体、自分に右往左往する体力があるということです。たとえば、ご馳走が並んだバイキングのテーブルを眺めるように。

どれから先に楽しもう?とワクワクすればいいのです。
好きなものでも同時に幾つも味わえない葛藤や、何が食べたいのか解らない混乱の苛立ちに抵抗しないことです。「迷うことは楽しいこと」という考えを定着させたっていいでしょう。

迷うほど、沢山の選択肢があるなんて、贅沢だと思いませんか?もしも、選択肢なんてない…と、思うなら、それはそれで、プライマリーに近づいているのだということです。

190

あなたがもしも迷っているのだとしたら、それは自分にとって何が最善かを、自分に問いかけていないからかもしれません。

自分のプライマリー(最優先事項)がわかっていたら、迷う必要はありません。決め手(最善)を、あきらめないで、妥協しないで探してください。自分が何が好きか?を何度も自分に聞いてあげましょう。

そして、それがたとえ、今すぐに手に入らないとしても、妥協して手に入りそうなものを好きなのだと思い込もうとしないことです。そんなことを繰り返しているので、迷ってしまうのかもしれないのだから…。

189

この世で起こることは、ただ起こるにまかせることです。それが気にくわない時には、それが嫌いなのだと認めてください。

嫌っている自分を許してあげてください。嫌っている意味など考えないで、ただ嫌っているのだと認めてください。無理に、自分を納得させようとしたり、和解したふりなどしないでください。

嫌っている自分を許すことができたら、次に好きなことを考えてみましょう。あなたは嫌いなものについて、いつまでも考え続ける必要などありません。心地良くなるもの、求めているもの、必要なもの、好きなものについて、好きなだけ考えさせてください。そして、それがどのように叶うかについては、悩まないでください。ちゃんと、あなたの源がオーダーを通してくれますから。