040

夢から醒めて、「現実世界」という白日夢を観劇しよう。

「夢から醒めて生きる」とは、思考のドラマから抜け出し、「自分が演じたいドラマ」へと入っていくこと。(ドラマをやめるときは、「死」というエンディングが待っている。)

自分はこのドラマのシナリオライターであり、主演俳優であり、監督でもある。また、どんなドラマに出演したいのかを決めるエージェントでもある。

039

あなたは自分の信じたいものを信じ、感じたい感情を感じ、取りたい行動をとり、在りたい状態になれる選択の自由があります。
目の前の自動販売機で選ぶように、望むものを選んでください。

あ…小銭はもっていますよね?

038

「無限」とは、その言葉通り「限界がない」ということです。
「ここまで」「このぐらい」「この程度」「いい加減」という言葉があてはまらない状態です。

私達がこの無限の存在であるということを、制限の世界でしか生きたことがない思考(エゴ)は決して認めようとはしませんし、理解することすらできません。

そもそも言葉自体が制限を創り出すレッテルのようなものなので、「無限」という名前にくくられた無限は、そのとたんに無限ではなくなるのです。

037

必要性(欲求)とそれを満たそうとする決意(意志)は創造の着火剤です。手始めに何をすればいいのかは、ワクワクとした気分が教えてくれます。

036

私達は毎日、悟ったり迷ったりするのです。それは、まるで家の外に出たり入ったり、息を吐いたり、吸ったりすることと同じです。

悟ることは、それぐらいシンプルなことですが、継続するためには、少し練習が必要なだけです。

035

本で読んで「なるほど…」と思ったことも、お腹のところ(みぞおちや下腹)で、しっくりと受け止められないと、理解できているということにはなりません。「腑に落ちる」といいますが、そんな感覚が起こったとき、はじめて理解が出来たということになります。

実のところ、理解できることは、既に自分が知っていることなのです。
それを思い出す感覚なので、合点が行く感覚、つまり附に落ちる感じになるのです。

目から鱗~という表現も似たような感覚です。
自分が幻想をのフィルター(鱗)に惑わされていたことに気づくタイミングは、知っていることを思い出す感覚に似ています。