022

身体の声を聞くようになってから、食品など身体に取り入れるものについて、意識が高まるようになりました。食べ物は私達の身体を創るための大切な材料です。
心が身体に作用するように、食べ物がもたらす影響も計り知れません。

そう言いながら、私は健康志向のベジタリアンや、マクロビオティックのライフスタイルとは遠い生活を送ってきたので、あらためて、身体の声を聞く食べ方は何か?と考えるようになりました。

自分の身体の声を聞く食べ方とはなにか?と考えると、巷で流行る健康志向の食事療法を単に取り入れるだけでは、なんとなく満足行かない気がしていました。

そんな自分が健康に関する分野で唯一興味をもったのは、アーユルヴェーダでした。

アーユルヴェーダは、インドに古くから伝わる伝承医学のこと。
漢方や世界の医学の母体となったこの古代の智慧には、心身を癒すあらゆる手立てを含むホリスティックな教えに惹かれ、その智慧に触れるようになりました。

アーユルヴェーダの本質は、医学に限らず、あらゆる方面を含むので、その膨大な知識をすべて理解し、生活に役立てるのは、限界を感じてしまうのですが、知識のベースに流れる、生命の科学の持つ懐の広さに、まず一歩づつ、とぼとぼ実践できたらいいのかな、という気楽さで生活に取り入れています。

021

信頼について

人間関係が深まるにつれ、信頼について考えさせられることがあります。
そもそも、信頼とはどんな意味があるのだろうか?と辞書でしらべてみると、「信じて頼る」とありました。

信頼されたとたん、頼られるのは、うれしい反面ちょっと荷が重い感じがしませんか?
信頼とは、ある意味、期待を裏切られるリスクを妊んでいるものなのかもしれません。

人(他者)に期待をする傾向がある人は、しばしば「裏切られる」という体験をします。裏切られた方はそうとう酷いことをされたように感じるけれど、相手はというと、自覚がないことのほうが多い。

それは、相手と約束を交わしたわけではないのに、自分が勝手に、「そんなふうにしてくれるだろう」「そういう展開になるといいなあ」と期待していた読みが外れただけに過ぎないからです。

そのようにして「裏切られる」という体験を重ねることで、だんだんと期待しなくなり、果ては信頼すること自体、恐ろしいことになってしまう。考えようによっては、この事態のほうがよっぽど恐ろしい。

信頼とは、自分の中で起きる状態なのに、おかしな事に、まるでお互いに約束を取り交わしたような錯覚に陥ってしまうのです。

あらためて「信頼」とは、相手がどのような態度であっても、相手の源である中心を信じつづけるということなのだと思うのです。

020

あなたが何かを継続してやっているときに、心がけておいたほうがいいことがあります。

それは、続けることに意味をもたせないこと。続けていくことを努力したり、継続性を望むよりも、今、ワクワクすることを体験し、「さらにワクワクするには、何が出来るだろう?」と考えるだけで良いのです。

「これを絶やさないために、何をすべきか?」という考えは手放しましょう。

自分自身が創り上げた創造物(現実)に執着しないでください。あなたはもっと、すばらしい創造物(可能性)を受け取るチャンスに出会ったのだと気づいてください。

019

情熱を失ったということは、次なる未知の扉が開いた状況と同じことです。
自分の魂がそれを望んでいるからこそ、次への扉は開き、それまであった情熱は一旦、鎮火したのです。
そう思えば、それは一つのチャンスになりませんか?

018

いつしか「難しい…」「面倒くさい」が口癖になってしまいました。

それらの言葉は、限界を感じたときに、保留にしてしまいたいとき効果的な言葉です。ある意味マントラのように自分に強い影響(硬直という影響)を与えてくれるパワーを持っています。

しかし、それでは(硬直した)ミイラや鎖に繋がれた奴隷のような自分を選択するようなものです。

017

感情は正当化するものではなく、抑えるものでもなく、見つめるものです。
それは自分へのシグナルであり、気づきへのメッセージなのです。

感情が沸いたとき、すぐに反応したくなる衝動を抑えて、立ち止まってみましょう。
感情をじっくり観察してください。

どんな事が起こっていますか?
それはどんな強さで、弱さで、どんな音をたてて、彩りを放っているのでしょう?
あなたの世界はその時、何が起こっているのでしょう?