自分がパイプの様な存在だということも、実は幻想です。生命はエネルギーそのものであり、流れる変化そのものなのですが、それを頭で理解するのはやめましょう。
まずは、信頼することから始めます。最初はイメージだけでも良いのです。
自分が豊かな存在であり、豊かさをつねに表現(与えている)しているところを想像してみてください。
豊かさを宇宙に投げかければ、宇宙から同じものが還ってきます。これが循環の法則です。
与えれば、与えられるという、バランスの法則と似ています。
自分がパイプの様な存在だということも、実は幻想です。生命はエネルギーそのものであり、流れる変化そのものなのですが、それを頭で理解するのはやめましょう。
まずは、信頼することから始めます。最初はイメージだけでも良いのです。
自分が豊かな存在であり、豊かさをつねに表現(与えている)しているところを想像してみてください。
豊かさを宇宙に投げかければ、宇宙から同じものが還ってきます。これが循環の法則です。
与えれば、与えられるという、バランスの法則と似ています。
私達はもともと豊かな存在です。だって、循環フリーのパイプなのですから。
それなのに、そのパイプを自分で蓋したり、絞ったりしています。だれでもない、自分自身の恐れがそうさせているだけなのです。
その状態そのものがストレスを生みます。足りないという幻想を社会的に蔓延させる原因を集団で創り上げているわけです。
所有するという意識が足りないという意識を生みます。所有することは、エネルギーの停滞を生むのです。
人間は本来何かを所有することなどできません。所有することは、幻想にすぎません。
お金を持っているとしても、財布に入るのは限られているでしょう。
土地だって、手にはもてません。欲しいものをすべて手にすることなどできないのです。
肉体だって、生きている間の借り物のようなものです。死が訪れれば、この身体を返上するし、何一つ持っていくことはできません。(持っていっても邪魔なものばかりでしょうけれど)
ようするに、豊かさとは、イメージの中で循環するエネルギーのようなもの。人間は、そのイメージを受け取り受容するとき、瞬間的に豊かさを感じます。
しかし、その流れるエネルギーにしがみつけば、もっと欲しいという飢餓感に襲われたり、無くしたらどうしようという恐怖感も加わって、とたんに豊かさを感じられなくなるのです。
人間は皆、フリードリンク・フリーフードのビュッフェレストランの中で、食べ物を奪い合うような愚かな競争をしていることに気づかないのです。
なぜなら、そのレストランは真っ暗で、誰もが本気で目の前の食べ物しか食べられないと思い込んでいるのですから。
「豊かさ」って何でしょうね?
「お金」と答える人は案外少ないかもしれません。
物質的な豊かさを追い求めると、いつになっても満足することは無いでしょう。
心の豊かさが、真の富を産み出すとしたら、人間はもともと無限の豊かさをもって生まれてきた存在なのです。
私達は、ちっぽけな杯のような存在ではなく、無限の豊かさを受け取り、解放しつづけるパイプのようなものなのです。
自分が自分に価値を与え、そしてそれを自分が受け取ったとき、価値ある人間である自分は、自分が求めた分だけ、豊かさを受け取ることができるのです。
ようするに、人間は自分が何か(たとえそれが自分の求めたものであっても)を受け取る資格があるか?を常に潜在的に考えて生きているのです。
しかし、元々から備わっている資格や価値があるわけではないということをあらためて思い出してください。(生まれた赤ちゃんは何の経験も資格もありませんが、価値がないでしょうか?)
一体、自分はどんな資格や能力があれば、価値があると思っているのでしょう?
そしてそれはどこで取得できるのでしょう?
自分に価値や資格を与えられるのは、唯一自分自身だけなのに…。