感情的になると人は声のトーンが高くなって、自分の本心を話さなくなります。 感情的な言葉は、在る意味本音かもしれませんが、源と繋がったところからの本心ではありません。
源は自分の丹田にアクセスすると繋がりやすくなります。
しかし感情が高ぶると、気は丹田からほど遠い「頭」に充満し、思考し始めます。その状態で、何かを約束したり、啖呵(たんか)を切るのは後で後悔するのでやめましょう。
感情的になると人は声のトーンが高くなって、自分の本心を話さなくなります。 感情的な言葉は、在る意味本音かもしれませんが、源と繋がったところからの本心ではありません。
源は自分の丹田にアクセスすると繋がりやすくなります。
しかし感情が高ぶると、気は丹田からほど遠い「頭」に充満し、思考し始めます。その状態で、何かを約束したり、啖呵(たんか)を切るのは後で後悔するのでやめましょう。
いつの間にか、人生をレースに見立ててしまっていることがあります。 勝てる算段があるから、レースに出ようと思うのです。勝てる予測がついているから頑張れるのでしょう。
しかし、勝てないと思ったら、レースから退き、楽に歩くことを始めればいいのです。レースに負けたら死ぬわけではないのに、誰もが生き死にに関わると思い込んでいるのが不思議です。
悟りとは、レースから離れて、楽々と生きることを決めることです。
人生とは、メリーゴーランドに乗って遊ぶようなものです。
それなのに、前の馬を抜こうと一生懸命になったり、落馬するのを怖がって景色を見る余裕もなくなったりするのは、エゴのしわざです。
競争(誰かと自分を比べること)という幻想が無くなったとき、人生はいきいきと変わり始めます。自分が自分らしく在ることが楽しくなります。人生を楽しめるようになります。
メリーゴーランドに乗ったら、終わるまで楽しむだけでいいのです。
自分の魂の存在や、源の本質を実際に見たことがある人は少ないでしょう。見たことがないものを信じられないのは、無理もありません。
しかし、魂など無いと信じている人も少ないのも事実です。源との繋がりを「知ってはいる」けれど「信頼」できていないだけなのです。
豊かさや、愛の本質である源との繋がりを疑うので誰もが孤独を感じます。しかし、どんなに自分が疑っても、スピリット(魂)は常に自分と共に存在し、自分を愛し育もうとしてくれています。
人生を誰のせいにもしなくなった時、本当の自分の人生が始まります。
あなたが、今の人生の不遇や平凡さを,自分の才能のせいにしたり、失態のせいにしたり、誰かの意地悪や、不親切のせいにしているとしたら、あなたはまだ自立していませんし、自分の人生を生きていません。
あなたが何歳かは関係ありません。それに気づいたら、今日から自立した本物の人生を生きてみましょう!
上手く行かないことが続いたり、思うようにならない時、人生を嘆きたくなることがあります。しかし、世を儚んだり、嘆いたところで、ものごとが好転するわけではありません。
がっかりしていると、それ以上がっかりする必要がないので、ついつい「つまらない…」とぼやきたくなりますが、エネルギーは墜ちるばかりです。
どうせ期待しても仕方ないと諦めて、たまにはそんな人生を面白がって見るのはどうでしょうか? 嘘でも「面白い」考え始めると、実際に面白いことが起こり始めます。何が面白いと思うかは、あなたの自由です。