696

「どんな人生にも何か意味をつけようと思ったらつけられる」とビクトール・フランクルは言います。(多分、こういう表現では言いませんが…)

意味づけが自由なのだとしたら、自分の好きなようにつけたらいいのです。ですが、自分の人生を儚んで、心地良くないレッテル(意味)を貼りつける人が多いのはなぜなのでしょう。

確かに、そうする自由も許されているのですが、少し立ち止まって、人生に対して、わざわざ自ら脱力するような意味をつける「意味」を考えて見るのもいいのかもしれません。

695

思い込み(観念)とは、やっかいです。
自分を本当にめちゃくちゃにしたり、本質とはほど遠い存在に追いやってしまうのですから。

愚痴を言う人も、文句を言う人も、人をコントロールしようと躍起になる人も、ただ本当の自分が誰なのかを忘れているだけですが、忘れたまま人生を終えてしまう人も多いようです。

694

愚痴や文句の多い人は、自分が何でも出来る能力や権利があることに気づいていません。
それより以前に、「自分には、能力もない、権利もない」と、そうとう頑固に思い込んでいます。

だから、いつも誰かに欲求を満たしてもらうことを期待します。
さらには、誰かに欲求を満たしてもらうために、クレームをつける技能だけを磨いてしまうのです。

693

愚痴や文句を聞くのが好きという人はいるでしょうか?(同情するのが好きな親切な人はいますが…) ほとんどの人は好きじゃないとわかっていながら、ついつい言ってしまいたくなるのは不思議です。

692

人は言葉の内容を理解するのではなく、話された印象を受け取っていることが多いので、誤解が生まれます。

それは、人が、他者の言葉を自分の言葉に変換して聞くという性質があるからです。

つまり、ほとんどの理解は誤解だと言ってもいいのかもしれません。

これもきっと、誤解して伝わるのでしょうけれど、誤解を怖れずに話すことも楽しいものです。

691

「真理」とはいったいなんなのでしょう。
今日は少しだけそのことについて考えてみてください。