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あきらめるとは、「明きらめる」という語源があります。物事を明らかに観るという在り方です。

物事が上手く行かない時。人生に抵抗するのを諦め、内なる源にすべてをゆだねたらどうでしょう?

もしも、人生に苦しさを感じているのだとしたら、そんな諦めが役にたつことがあります。

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どんな人も、自分の人生から逃げることはできません。自分の行いの責任から逃れることはできないのです。

どんなに言い逃れをしても、嘘をついても、正当化しても。

人や法を欺くことはできても、自分の魂の目を欺くことはできません。
それは、自分への罰ではなく、魂の願望なのです。

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多くの人が、自分を甘やかした結果、行動できずにいます。そして自分を見くびった結果、人生をあきらめようとします。 そんな人達は、口をそろえて言います。 「自分だって、努力したり、頑張ったことはあるけれど、上手くいかなかったんだ…」と。 そんな人の口癖は、「どうせ…」ではじまります。 しかし、「どうせ」とは、あきらめていない証拠です。 諦めた人は、「どうせ」と言わず、妥協した人生に抵抗せずに生きています。

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人生、うまく行かないことはあります。 しかし、同じように、うまく行っていることもあります。 ただ、私たちは、うまく行かないことばかり目についてしまうだけです。それは「うまく行っていること」に感謝できずにいるからです。

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極端に頑張ったり、成功を目指したりする必要などありません。 ただ、物事に対する否定的な見方を変えて、少しだけ前を向く気持ちになることです。 それが、どんなに勇気が必要で、大変なことなのかを内なる神は知っています。  

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病気や心配事(自分だけではなく、家族や親しい人の問題まで)は、動けない理由になりそうです。 しかし、それら(病気や問題)は、人生の阻む壁ではなく、乗り越えて行くための踏み台なのです。 それらを理由に自分を甘やかしたり、見くびったりせずに、それさえも前に進むための原動力にしてください。