619

自分の本質と繋がる人は、人とも繋がることができます。
自分の本質とは、宇宙のエネルギーソース、人間のリソース、魂の源のことだからです。そのエネルギーと調和する時、人は自分をそして、他者を信頼することが出来るのです。

618

自分を責めることも、嫌うことも、人を拒絶して、自分の殻に閉じこもることも、ただ止めることができます。
簡単に、ただ、止めてみるだけです。

「それが出来たら苦労はしない!」と叫ぶエゴとは、「そうしていたい」と願う、とんちんかんな自意識のことです。
エゴは、そんな役に立たない珍行動をやめないための理由づけや、正当化のために、日々思考を磨くことに余念がありません。頭の良い人ほど、このロジックに騙されますので注意してください。

617

苦しむ自分に嫌気がささない限り、苦しみを手放すことは出来ないでしょう。
苦しみからの開放を求めて探し回る自分に呆れかえらない限り、あなたは探すことを止めないでしょう。
そうしている(行為者)の自分を手放せば、苦しみも探求もそこで終わります。ただ、終わるんです。
そして、また飽きもせずに、始めることも出来ます。
いとも簡単に。簡単なんだから、一旦やめてみるのも手です。

616

あなたは自分の為に生きてください。
誰かや何か(子供、夫、妻、父、母、友人、信仰や国家、プライド)の為に生きるのではなく。
その人(またはそれら)は、その人自身の為に生きればいいのですから。そして、誰もがそうすれば、世界は幸せに満ちるでしょう。

615

誰かのために動くことは美徳ではありません。
他者を行動の動機にしないでください。
自分以外の誰かを行動の動機にしてしまうと、その人が居なくなった時、あなたは動くことができなくなってしまいます。
どうか、忘れないでください。動機は常に、自分自身の中に見つけることです。それは自分の軸を持つことと同じです。軸は誰にも預けないでください。自分のために。

614

誰かの為に生きるとか、働くとか、尽くすというのは、気高い在り方だと勘違いする人が多いのですが、それは誰かにとって、有り難いどころか、迷惑だったりするのです。

「誰かのために○○する」という構造は、ヒモ着きの餌の様です。働く対価としての代償を求めているからです。尽くしてもらった誰かは、いつかその人から代償を求められます。

代償はいろいろあります。承認だったり、愛されることだったり、コントロールだったり、安全だったり、物や金銭だったりします。それは、まるで押し売りみたいな行為です。