607

もっともらしい考えは、取るに足らない考えだと思ってみてください。
そう思って見ると、まるでたいくつな授業を抜け出して探検しに出かけるようで、ワクワクしませんか?

606

真実を知ろうとして、いろんな知識を得れば得るほど、解らないことが多くなります。
それは、知識が増えることで、思考の場が複雑になるからです。
真実を知りたければ、理解しようとするのをやめて、見ることに徹することです。
しかし、エゴは考えること、知ることが仕事なので、「ぼーっと、見ていないで何かしたらどうだ?!」とあなたをせき立てるでしょう。

605

理解出来ないことにぶつかったとき。人はストレスを感じ、「解らない」と諦めてしまいがちです。
「解らない」で終わってしまうのであれば、それは「解りたくない」という思惑であり、抵抗だと言えます。

解らない時、諦めずに答えを探し続ければいつかは答えが見つかります。
どうでしょう「解らない」を「知りたい」という言葉に置き換えてみませんか?
解らないストレスは無くなります。

604

出来事・事象・現実は中立的に存在しています。
それに特定の意味づけなど無用です。事実に意味付けをしたいエゴはいますが…。
私達の、あなたの経験している出来事は無意味だということに気づいてください。
無意味とは、無価値ということではありません。
出来事は、完璧な瞬間の中に存在しているという事実です。
それに気づく時、あなたの反応が確実に変わるでしょう。

603

悟り(自我の不在)を求めて、自我が自我を消滅させようとすると何が起こるのでしょう? 自我が自我を憎みます。価値がないと決めつけるのです。

苦しむ自我を亡くして、楽になりたい自我がいます。それ、すなわち、自我の自殺行為です。しかし、死んでも死にきれない自我は、「悟は難しい」と悟るのです。

602

山や海、木や花、鳥や動物たちは、在るがままに存在し、生きています。
皆、すべての存在達は、努力したり、頑張って生きているものはいないのです。私達人間も、その自然の一部(一員)なのだとしたら…。頑張って生きることは不自然ではないでしょうか?