367

内なる源のエネルギーに気づけないのは、心の中にたくさんのガラクタ(雑多な観念)が詰まっているから。
怖れから集めてきた「心配の種」を整理し手放して行くと、心の中に広い余裕が生まれます。すると、源のエネルギーを見つけやすくなることでしょう。

366

自分の信じているものを疑う時、「怖れ」が生まれます。それは、源の声やシンクロニシティを見過ごすのに似ています。信仰とはその怖れから信頼へと立ち向かう約束のことです。

365

人は自分の信じたいものを信じます。
「何を信じたいか?」は、自分で決めることができるし、実は常にそうしているのです。
興味深いのは、何を信じても自由なのに、信じたくないものを信じている人が驚くほど多いということです。そうすることで、どんなメリットがあるのか、考えてみてください。

364

信じるということは、目覚めるための足がかりです。
光を見失った暗闇の中に居る時。それは、光が無いと思い込んでいる状態に過ぎません。
光は無いのではなく、今は見えないけれど、いつか見つかると信じたその瞬間に光明が現れます。真実は光と闇の統合であり、信仰とはその真実を探す旅のガイドブックのようなものです。

363

どんな出来事も、起こるべくして起こっています。起こった出来事に、「どのように取り組み、乗り越えることができるか?」が、今後の自分の在り方を決めてくれます。

362

今日という日は、あなたに与えられた贈り物です。あなたはこの時を自分の好きなように使って良いのです。あなたは、今日の自分だけを信じて生きたら良いのです。
自分の人生なのですから。自分の今日なのですから。

昨日の失敗や、明日への不安ではなく、今日自分が出来る最高の
方法を試すだけでいいのです。誰かに断る必要などありません。
もう、あなたは子供ではないのですから。

あなたの望む事を、自分ののぞむ方法で、やって行ってください。