253

理解されない憤りを相手にぶつけても無駄です。誰だって、責められたら受容的なモードにはなりませんから。そんな風にされれば、誰もが心を閉ざしてしまうものです。誰かに理解されたいと願うなら、まず自分が心を開くことが先なのです。もしも、心を閉ざしたまま、心の地下牢で籠城していても、誰も気づいてくれないか、放っておかれるだけです。

しかし、そんな気分の時に籠城しているところから、投降してくるのは難しいでしょう。まずは、自分が何を解ってもらいたかったのかを、自分で理解してあげることから始めましょう。心を扉を自分にむけて、明けてみましょう。何かが見えてくるかもしれません。

252

なぜ、好きこのんで心配なことばかり考えているのですか? 世の中にはもっと面白いものが沢山あるのに…。 心配の種について考えることに頭を使うよりも、もっと楽しくなる方向に工夫していくほうがクリエイティブだし、楽しいはずです。

自分で自分の波動を下げて遊ぶような癖は治したほうが身のためです。

251

人をコントロールすることはできません。できるのは、自分だけです。

人からコントロールされることを怖れることはありません。自分をコントロールできるのは自分だけだからです。

そして、自分さえコントロールする必要すらありません。在るがままの自分を受け入れ、エネルギーの流れを信頼することができたら(自分の本質を信頼し、繋がったとしたら)、コントロールするのではなく、流れを楽しんでゆだねていればいいのです。

コントロールすることを楽しむのではなく、流れそのものを楽しむことが出来たら、人生はもっと面白くなるはずです。

250

既存の枠組みが変容(パラダイム・シフト)するのは、信じたいものに意識をフォーカスし続けた時に起こります。確実に過去のパターンとは違った経験を繰り返すうち、思い込みが変化し新たな観念ができ上がります。それはきつい上り坂を上がって行くようなプレッシャーのようです。そして完全に登り切った時、意識が新しい段階(パラダイム)へと変化し始めるのです。まるで、重々しい雨雲をくぐり抜けて、雲海の上に飛び出し太陽の陽を浴びるような心地よさがあります。

249

感謝を求めてしまうのなら、何もしないほうがお互いのためです。感謝を求めてしまう時というのは、相手から感謝のフィードバックが無いときです。しかし、それは、あなたの好意が相手のニーズに合っていなかったという合図です。

つまり、親切の押し売りだったのです。それは残念なことですが、少なくても自分がニーズをくみ取れなかったということを学んだわけです。

行動とは、基本的にすべて自分の為に行っているのです。それ以外の理由で行うとしたら、それはいつしか負担になります。その負荷を負いきれなくなったとき、相手に押しつけてしまいたくなるものです。

248

考え過ぎると、頭が充血してしまいます。そんな滞った思考状態では、良いアイデアを望むのは難しそう。
それなのに考えずにはいられなくなるなんて、何をそんなに焦っているのでしょう?何をそんなに守ろうとしているのでしょう?

思考の力で、力任せに片付けようと思っても、空回りするだけです。また、考えるのが役にたたないと思ったとたんに、あらゆることに蓋をして、ふて寝してしまう人も居ますが、どうして現状を眺めることをしないのでしょう?

見る、聞く、考える、やってみる。
もっといろんなことをバランスよくやってみるというアイデアはいかがですか?