235

思い込んでいたり、決めつけている状態で、別の思考に気づけるわけもありません。つまり、思い込んでいる人は自分が思い込んでいることに気づけずにいます。もしも、自分が思い込んでいると思ったり、決めつけていると気づくと(理性をとりもどして)、その状態がばかばかしく感じられて、思い込みから解放されるからです。たいてい、思い込んでいる時って、楽じゃない時が多いのです。

234

ネガティブに意識や行動が向かっている時、それを止めてポジティブになることは容易ではありません。

そんな時は一旦、その状態に気づいて立ち止まってください。それは呼吸に似ています。息を吸っている時、一旦そこで息を止めるとどうなりますか?そこからは息を始めようとすると、吸うよりも吐きたくなるものです。過呼吸の人は息を吸うことしか意識に無くなって、もうこれ以上吸えないので苦しいのですが、そんな時は無理矢理吐こうとしないで、一旦息を止めてみると、すぐに息が楽になります。吸いすぎた息はあとは吐くだけなのですから。

行動も同じです。方向転換させるタイミングは急には起こりません。 一瞬の静止(観察)が変化(気づき)を生み楽な方向に向かっていけるのです。

233

誰かに寄りかかりながら、自分で立っているつもりでいても、それは自立ではありません。中途半端な自立などはありません。しっかりと自分の脚で立っている状態が自立です。実は、自立するとあとは結構楽になるものです。自分の脚で立っているので、どこにでも自由に行けるし、(おんぶされていたら、そういう訳にいきませんよね)自分で登りたい山にも登れます。

つまり自分で自分の現実を作れるようになるということなのです。自立していることは、すなわち自分の夢を楽に叶える助けになるのです。それなのに、多くの人は自立することを怖れ、誰かに頼ることばかりしたがるのでしょう?

232

毎日思い出しましょう。私達は肉体というエネルギー、そして心というエネルギー、そしてスピリット(魂)というエネルギーの統合した存在であるということを。
どんなに忘れていても、否定しても、その存在である意外の存在にはなれません。身体を動かさずにいると、筋力は衰えエネルギーが滞ってしまいます。心を開かずにいると、愛が枯渇してエネルギーが滞ってしまいます。

しかし、スピリットは純粋なエネルギーの存在なので、滞ることはありません。ただ、心や肉体が滞るとき、それらを見捨てずに、立ち止まり見守ることをしています。

231

頭が煮詰まったら、身体を使ってください。身体が疲れたら、スピリットにゆだねてください。流れに身をゆだねてください、安心して…。
きっとすべては上手く行きます。流れ(水)は、すべて海や天(源)に向かうように出来ているのですから。

230

ラッキーな変化やシンクロニシティを起こせずにヤキモキする時があります。 そんなヤキモキ(ジレンマ)は、望む現実を作れない時や、答えが導き出せない時に感じるものです。それは煮詰まった考えが、視点を固着させて盲点を作るから。盲点とは、つねに視点を変えていける柔軟な姿勢を身につけていると無くなります。そして、直感を信じ従う癖をつけていくと、次第にラッキーなことが連鎖して起こるシンクロニシティの現象を起こし始めるのです。

つまり、シンクロが起こらないことにジレンマを感じている間は、なかなかシンクロは起こりません。