抵抗しながらも、同時に執着をしているものです。それが、葛藤のエネルギーへと変容していくのです。
抵抗しているとき、それに執着をしていると気づかないのは、抵抗するのに夢中で、その状態に執着していることが見えなくなっているせいです。試しに、抵抗をやめようとしてみてください。きっとあなたは、その瞬間に抵抗していることをやめたくない自分を見つけるでしょう。それって、執着ではないですか?
つまり、あなたは嫌って抵抗するものに、執着していることになるのです。
抵抗しながらも、同時に執着をしているものです。それが、葛藤のエネルギーへと変容していくのです。
抵抗しているとき、それに執着をしていると気づかないのは、抵抗するのに夢中で、その状態に執着していることが見えなくなっているせいです。試しに、抵抗をやめようとしてみてください。きっとあなたは、その瞬間に抵抗していることをやめたくない自分を見つけるでしょう。それって、執着ではないですか?
つまり、あなたは嫌って抵抗するものに、執着していることになるのです。
「あなたは本気で生きていますか?」
そう問いかけられて、どんな答えが思い浮かびますか?
もしも、本気でないとしたら、それはどうしてですか?自分の望む人生へ向かって行動をしていると思えないとしたら、未だスタートが切れないとしたら、それはなぜでしょう?
「時間がないから」「お金がないから」「才能がないから」「機が熟していないから」
言い訳を考えるのに暇が無いですか?そのうちに、人生など終わってしまいますよ。そうやって多くの人が、望む事を、やりたいことを先延ばしにして、やりたくないことに時間を費やしているのです。
たった今から、自分の望むことのひとかけらで良いのです、始めてみませんか? はじめはほんの少しだけ。はじめの一歩は、蟻の一歩でいいのです。
多くの人が、表現したいと願いながら、表現することをためらい、変化したいと望みながら変化することを怖れ、人と繋がりたいと願いながら、人を疑い、幸せになりたいと願いながら、幸せになることを諦めているのです。
不思議なことに、人間は自分の願い、望むことを手にすることをこんなにも怖れていることを気づかないまま、願い続けています。それは、まるで、食べてしまったらなくなるのが嫌で、お預けを強いている馬鹿馬鹿しい状態に似ています。
グーグルマップを使って道を検索するとき、現在地を知らせる許可をしないまま、目的地までナビゲートしてもらうことは出来ません。そして、もちろんのこと、目的地を入力しなければ、行きたいところには行けません。
さて、私達の人生もこのシステムに似ています。
「自分が望む未来」「満ち足りたワクワクする状態」が目的地だとしたら、まず今いる場所、つまり今の自分の状態を在るがまま認め、その自分が在りたい状態(望む未来)を定める必要があります。
今の自分の此処を確認してください。それは、今を見つめ、感じることから始めましょう。
「責任を取る」とは、自分が想い描いた夢を、自分が経験し楽しむということなのです。夢の種を蒔き、それを刈り取るというのと一緒。だから、沢山望む種を蒔いてください。
どうか、望まない種を蒔いて、刈り取ることに抵抗しないことです。望まない種を蒔くことに慣れてしまうと、責任を取ることを怖れるようになってきます。
責任とることを怖れていつも消極的になっているということは、自分の人生を自分で生きずにリスクを怖れ、閉じこもり人にコントロールされながら生きることになりかねません。
責任を取るとは、自分で出来る最大限のことをするだけなので、怖れることなど無いのです。
行き詰まったとき、行動することをためらうとき、迷うとき、変化を怖れる時。
それは、自分のエッジ(限界)に辿り着いたのだと気づいてください。そして、限界を超えるチャンスです!
ほんの少しだけ、頑張ってください。自分の幅が拡がるチャンスです。
「〜したくない」「出来ない」という声に「何故?」とやさしく問いかけて理由を聴いてあげましょう。その答えが、自分を阻んでいるネガティブな観念です。
観念が見つかったら、手放すだけでいいのです。