必要性(欲求)とそれを満たそうとする決意(意志)は創造の着火剤です。手始めに何をすればいいのかは、ワクワクとした気分が教えてくれます。
SOURCE OF WISDOM
036
私達は毎日、悟ったり迷ったりするのです。それは、まるで家の外に出たり入ったり、息を吐いたり、吸ったりすることと同じです。
悟ることは、それぐらいシンプルなことですが、継続するためには、少し練習が必要なだけです。
035
本で読んで「なるほど…」と思ったことも、お腹のところ(みぞおちや下腹)で、しっくりと受け止められないと、理解できているということにはなりません。「腑に落ちる」といいますが、そんな感覚が起こったとき、はじめて理解が出来たということになります。
実のところ、理解できることは、既に自分が知っていることなのです。
それを思い出す感覚なので、合点が行く感覚、つまり附に落ちる感じになるのです。
目から鱗~という表現も似たような感覚です。
自分が幻想をのフィルター(鱗)に惑わされていたことに気づくタイミングは、知っていることを思い出す感覚に似ています。
034
昔読んで「退屈だ」と思った本を、ある時開いてみたら、興味深いことが書かれていたという経験はありませんか?
それは、自分が変化し多角的な視点を持ったことで、理解力が深まったという成長の証です。
昔読んで戸棚にしまった本をもう一度手にし、つまみ読みしてみませんか?
あらためて、その本の言わんとすることが理解できるようになっている自分に気づくかもしれません。
033
エゴとしてこの現実世界(幻想なのですが)で、組んず解れつ、悩み気づいていくことは、人間の醍醐味かもしれません。
ただ、あまりに現実が厳しく感じられ、そこから逃げ出したくなったら、少し休んでください。
休むとは、寝ることではなく、「意識的になる」ということです。
深刻なドラマを観るのが疲れたら、途中にコマーシャルを見るぐらいの気楽さでいいのです。
032
生きている限り、エゴのレベルから100%分離・達観することは容易なことではないかもしれません。
しかし、方法は沢山あります。
継続して達観することは、つまり悟りと呼ばれるものですが、人類はこの悟りを渇望しつづけてきた歴史があります。
悟りとは、渇望し修行して手に入れるものではなく、ただ思考や自動的な行動パターンを一旦やめて、今ここで起きていることを観察する時間を増やしていくことなのです。
その方法は自分の好むスタイルでやってみると継続しやすいでしょう。