わたしは鏡の中の自分と目が合ったことがない、ように思う。
顔の前に、見えない幕がある。
鏡の向こうにある顔は、毎日変化している。
わたしが、一瞬だって同じわたしでないように。
ワークショップの間に離職日を迎えた。
それは奇しくも「自画像」を描く日だった。
思い込みの壁を壊して、バラバラに砕いたピース。
中から出てきたドロドロの感情。
更にその闇の中から見つけ出した感謝やら愛やら恋のようなものやらで、わたしの心はお手上げだった。
鏡を観ても観ても、視線は合わない。
自分と出逢えない。
心が定まらない。
「描けない」
自画像は目から描き始める。
わたしの自画像は、夜になっても目の形が決まらない。
自分でない目。
「描けない」
鏡の中に見ているのは、母の理想のわたし。わたしの理想のわたし。
そんな顔は幻想だと、卑屈に描いたり、自惚れて描いたり。
わたしの顔が、どんどん分からなくなる。
「描けない」
これはわたしの中のチャイルドの声。
早くここから脱出しなくちゃ、何とかしなくちゃと、もがく。
そして何もできない無力感に、逃げる。
とうとう自分を放棄して、飽きる。
わたしは、ありのままのわたしを見ていない、感じていない。
一体わたしは何をしに来たのか。
そしてまたお手上げ。
エリさんが言った。
「描くために描く」のだと。
目の前にあるのは、ただ「それ」なのだと。
思考も、感情も、幻想も、何もなくて。
輪郭線も、境界線も、形さえなくて。
目が目でなくなったとき、目が描けた。
ただそこに留まることで、次に進んだ。
顔は、描き上がっていた。
「それ」を描けたとき、
「それ」に魂が宿った。
「淡々と生きる」
そんな言葉が浮かんだ。
(休職中/女性)