今回の講座では主にファシリテーターになるための技術的なことを学べるのかと思って参加しましたが、初日の冒頭に『人に対してはマニュアルはない』というお話があり、早々に期待がくじかれ、しかしそれと同時に深く納得する自分がいました。
そして『じゃあ私はどんなファシリテーターになれるだろうか?』そんな問いが芽生えてスタートしました。
初日は今までに幾度となく聞いているガイドラインのファシリテーター視点での解説から始まり、インテグラル理論や集団との関わり方などのボリュームたっぷりの知識を教授してもらい、終わる頃には頭が熱を帯びていました…。
YSの講座では、各回の内容にあわせて本当に密な情報を伝えてもらうのですが、その瞬間には情報の波についていくのがやっとのことで、後日書き留めたノートや写真を見て、『こういうことを話してたのか!』と追いつくことが多々あります。(そしてきっとまだ理解しきれていないことが山ほどあるんだろう…)
それでも毎回知識を浴びるようなこの時間が私にとっては喜びでもあります。大人になると何かを必死に学ぶこと、それも生の授業を受けることなんてそうそうない中、自分の心と魂が動くことに拙い頭を必死に回転させて吸収しようとする座学の時間は、ワークとはまた違ったワクワクで満ちています。
そして今回の講座のメインのワークは2日目後半~3日目に待ち構えていました。内容は、『グループで他の参加者にワークを提供する』というシンプルなものでした。
ところが、なんと言っていいか…それを体験している最中は想像も及ばない深い部分で、今までにないくらい揺さぶられている自分がいました。
このワークの本当の目的は『上手にワークを提供する』などではなかったこと(それには終わって気づいたのですが)、だけど自分のエゴはどうにか建前だけでも上手くいっているようにしたい。
何度言っても伝わらないからと心の中で相手を責めつつ、表面ではそれ以上関わろうとしない自分…
引っ張ってくれる人に甘えて乗っかっている自分…
ここまででいいよ、波風立てない方がいいよ、と感じる違和感を見て見ぬふりをしようとする自分…
そうやって他のメンバーとの間で生じる感情や引き起こす状況。それは日頃から自分の内側で起こっていることそのもので、それがそのまま目の前で再現されていたことに気づいて、愕然としました。
ワークが終わって、シェアの時間があり、そのシェアの場でさえも正直な言葉で話せずにいた私は、自分の認めざるを得ない弱さに直面しました。
ああ、これが私の弱さなんだな。本当に本当に涙がでました。それをただ、受けとめました。
そういえば初日にメモしていたエリさんの言葉の中に、『テクニックというか、腹の決め方』そんな言葉がありました。
それはおそらく、ファシリテーターにとって大事なこと、そんな話の流れで出た言葉だったと思います
正直、参加するまでは、ファシリテーターになりたいのか?その大前提が曖昧な状態でした。
そこには『私にできるかわからないし…自信がないし…どうやってなるの?…決めちゃったら逃げられないよ?』なんて囁く、重く暗いネガティブな自分がいました。
この講座を終えた今、そのネガティブな自分がいることには変わりないけれど、それ以上にこのファシリテーションという未知なる世界に対して興味と情熱が湧いている自分がいます。
怖いままだけど、今は、この表現アートファシリテーターとしての道を進みたい。そう思います。
そして『私はどんなファシリテーターになりたい?』と、これから何度でも問いかけていきたいです。