今回のセルフファシリテーションのワークショップでは、自分の中にいるあらゆる”住人”を覗いて注意深く観察した。
「お前は何も出来ない!絶対に無理だ!」と叫ぶうるさい批判者から、その声を怖がってブルブル震えている臆病者や彼らにすっかり埋もれてしまっている「やりたい!チャレンジしたい!」という冒険者まで…。
彼らをジャッジせずに(私の中にはもちろん厳しい審判者もいる!)ありのまま受容すること。
正直、3日間のワークショップの中では、思考で何となく理解した気になっていても、何となく実際の体感として難しかった。
どうしても批判者の声が大きく、臆病者の恐怖が強かったため、彼らを無視したくなったり、自分の中から追放したりしたい衝動に駆られたのだ。どこかで「”彼ら”さえ、いなくなれば私はもっと成長できるのに!」と思考していたのだと思う。
今まで無意識レベルで、”彼ら”を「好き・嫌い」「善・悪」に振り分けて、こうした分離を生み出してしまっていた。彼らも、本当は”私”なのに。
私は、「誰もが自分の創造性を発揮できる社会、他者とともに協力して何かを創造していく社会を目指して勉強しているつもりだったのに、そもそも自分の内側がこんなに差別的で、それによって自分を構成する様々な要素がバラバラな状態であったなんて…!」と何とも言えない恥ずかしい気持ちになったとともに、世界中の人々がセルフファシリテーションをできたら、本当の意味で平和な地球が実現するのだろうなとも感じた。
自分をありのまま受容することは、私の中にいる多様な”私”を1人1人認めること、1人1人の居場所を確保するには、まず自分自身を掘り下げて、どんな”私”がいるのかを発見しなければならない。
それは頭の中だけで考えるだけでは到底できない作業で、全身を使って普段見ようとしていない部分を丁寧に感じ取ることで、ようやくちょっとずつ見えてくるもの。
全部隈なく見たつもりでも、どうにかこうにか見ないようにしてしまっている部分もあるかもしれない。
自分でも日々ワークを実践していく過程で、少しずつ少しずつ発掘していこう。そしてその声を聴いていこう。聞こえないように耳を塞いでしまうのではなく。でもその声に流され、振り回されるのではなく。
ワークショップから2ヵ月が経ち、ようやく、自分の中に存在するすべてのパーソナリティをただただ照らし出すような、誰をも疎外せず平等に居場所を与える、中立な観察者の姿勢が大切なのだと分かってきた。
そして観察者でありながら、ありたい自分の実現に向けて一歩ずつ前進、行動を起こしていきたい。
(大学生/女性)