参加者の声【ART DANCE with TAO 2025】シャドウに再び出会うとき

ワイエスのワークショップは、今の自分の状態がわかりやすく明らかになるという意味で、魂の人間ドッグみたいな場所だなと思います。

合宿のためアトリエへ向かうことは、今まで気づかなかった無意識の世界に降りて向かっているようで、毎回どきどきします。

今回の合宿中は、シャドウワークを中心に学びました。今まで投影といったことを知識として学んだことはあったのですが、私にとってはワイエスのシャドウの学びが一番わかりやすかったです。

今まで様々な自分自身の欠片たちを否定したりしながら、分離を強めていたということ。欠片と統合せず、結局自分のことがよくわからないとしていたこと。

それらを理解してしまうと、もう被害者や責任転嫁のようなことはできませんから、ある意味では「弱い私」の終焉かもしれません。

シャドウを統合するということは、自分自身が創造者としてとして立つことでもあるのだと思いました。

どんな影や輝きも、再びやってきた私自身の一部であり周波数であるということ。

つい、目の前のAさんやBさんがいけないんだ、としたくなりますが、そうじゃないということを、座学やワークを通して理屈だけではなく体感させてもらえたことは大きな学びでした。

こうしてワークショップに参加するたび「ああ、感じることより考えていたのだな。」と思い知らされます。感じることより、頭で考えて悩みにしたりしながらマインドの世界に留まる。

そして、感じることを大切にして生きていこう!と決意して日常生活に戻り、またワイエスに来ると「結局、感じ切るより考えていたんだな。」となる。

それは結局のところ「感じることを、自分を知ることを、恐れていたのだ」と今回、合宿の後に気づきました。

探究が好きだし、だからワークショップに参加している。そう思っていました。実際そうなのですが奥底では、

「自分を知りたいけど、一気にどんどん感じていくことは怖い。だから小出しに知っていきたい。」が本音だったのだなと、

合宿で様々な学びやワークをしたことで、今回ついに「恐れを感じることを、恐れてきたこと」を認めるときが来ました。

恐れが二重になっていて、ややこしくなっていました。でもいざ恐れていたことを認めてしまうと、いつも恐れと緊張の霧のようなものに包まれていた感覚が、恐れという黒いぬいぐるみと一緒にいるような感覚に変化しました。

その恐れのぬいぐるみがいなくなることはありません。が、霧のように私自身を包み込んだり圧倒するものではなく、共に在るものに変化しました。

生きているのだから、私を、この世界をもっと感じたい。怖さがすべて無くなるわけじゃない。それでも、シャドウに自らの一部や宝物を預けたまま生きている方がもっとこわい。

今回も様々な学び・体験、美味しすぎる幸せなごはんタイムまでetc…ありがとうございます。

生きるを、これからも味わっていきたいです。

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