美術大学を卒業してはじめて就いた仕事は、ガラスメーカーのデザインの仕事でした。
工業デザインはもちろん、社会というシステムさえ知らなかったので、まるで素人のようにデザインを1から学び、失敗しながらなんとかデザインという仕事について理解をして行きました。
それからというもの、デザインに関わる仕事をいろいろ経験してきたのですが、なんだか自分にはどこか、誰かのために何かを創るデザインという仕事ではなく、自分のために絵を描きたいと思う気持ちが強く、いつしかデザインの仕事よりも、イラストレーションや絵本の仕事に気持ちが傾いてきました。
今では、初心をすっかり忘れ(笑)アートセラピーをやっています。
ある年の旧友から受け取った年賀状に、「畑の次はセラピーですか?」と書かれたメッセージには、さすがに笑い飛ばせずため息が出たものです。
それは昔、趣味でやっていた畑の話を書いたエッセイの本を出していたので、デザイナー時代の私を知っている人達にしてみれば、またのれん替えかしら?というイメージを持つのもうなずけるのですが…。
おそらく私にとって、デザインという仕事は何か、完全燃焼できない分野として、自分の中でくすぶっていたのでしょう。
昨年、ナガオカケンメイさんというデザイナーの人が書かれた本を見つけ、普段はエッセイの本などあまり読まない自分が珍しく興味をそそられて読んだとき、その時の自分のことをふと、振り返ったのです。
彼は著書の中で自分自身の仕事、つまりデザインについての考えを、とてもまっすぐに語っていました。「自分はデザイナーである」というその曇りのない宣言に私はとても懐かしい感覚を思い出したのです。昔、曲がりなりにも、誇りを持ってデザインをしていたころの事…。
結局、長い時間の中で自分が何をしたくて、誰に向けてデザインをしたいのか見失った結果、この仕事を離れたのですが、同時に私は一つの大切なアイデンティティーを失ってしまっていたのかもしれません。
そして、新しいワークショップをプログラムしている時、こんな風に思いました。
「私はワークショップをデザインしているのかもしれない」
私が提供するワークのプログラムはすべて自分で企画立案します。
参加者の方に向けて、何が助けになるか?何が必要なのかを考えながら、提供するテーマやプログラムの内容を考えて行きます。
そして、いつも特にこだわっているのは、スタイリッシュであること。
こうしてみると、ワークを企画立案するときのプロセスは、まるでデザインをしている感覚とそっくりです。
ワークショップは、私にとって、自分のデザインした作品と、それぞれの参加者の個性とが相互作用し変化していくプロセスであり、ワクワクする瞬間です。
私には、ワークショップはインタラクティブ(相互作用)なコミュニケーションの場のように思えるのです。すると、こんな風に思えます。
誰かのニーズに応えるためにデザインがあるのではなく、コミュニケーションのためにあるとしたらどうだろう?
ワークをデザインするワクワクした感覚。(注)シャレではありません。。笑
私はコミュニケーションをするための場をデザインすることが好きだったのだと思い至りました。
なんだか、昔どこかに忘れていた、パズルのピースを見つけたようなうれしさがありました。
このブログを書いている4月は日本人にとって新年度となる月ですね。
そしてこの14日は2010年春分を迎えてから初めての新月。
この新たなる1年のワークをデザインし、みなさんにむけて発信することは、新しい土壌に種を蒔くようなあのにわかガーデナーのワクワク感が蘇ります。
忙しく追い立てられるように、ただひたすらデザインに明け暮れた時間も、今は遠のいてしまった畑仕事も、何にしても、無駄なことなど無いな…、そう感じるのは年のせいかしら?(笑)
今年、ご紹介する講座は、かつて好評だった内容をさらにパワーアップした内容でご紹介する新しい試みばかりです。
中でも昨年、とても心に残ったファシリテーター養成講座もふたたびの開講を迎えます。本講座では、私自身がこれまでワークショップを創り上げてきた経験を基に、プログラム(ワークアクティビティ)のデザイニング、ノウハウや構成などをご紹介していきます。
そしてファシリテーターにとって大切な「集団と自分」というテーマに沿って学びながら、ワークの作り手自身の持つオリジナリティーを活性化することが目的です。
どうぞご期待ください。
講座の募集要項およびお申し込みはホームページへ