沖縄は、10年近く前にワークショップをするために行ったとき以来、とても心に残る思い出の地でしたが、「いつかまた…」と思いつつ心の隅にしまいこむうち、忘れていた夢のかけらとなっていました。
そろそろもう良いかなあ…。
しばらく地方でのワークショップをしていませんし、たまには鎌倉以外の海も見たいじゃないですか…。沖縄在住の人に誘われるまま、久しぶりに島行きを実現させようとすると、そのついでに久高島もいかがですか?という提案をいただきました。
久高島は、沖縄本島の南東に位置する小さな離島です。
私自身、仕事や逢いたい人でも居ない限り、旅行をしない性分だったからでしょうか、久高島がスピリチュアルな島だということは、なんとなく噂には聞いていましたが、これまで一度も訪れたことはありませんでした。
そんな私が今回は、その島に住む方に逢ってほしい、というご縁をいただき、はじめて久高島へ行く気持が涌いてきたのです。
久高行きを決めた後に、またこれも人に紹介されて、アーユルベーダの診察(というか、リーディング?)に行った時、不思議なことを言われました。
*アーユルベーダは、インドの伝統医学で、予防医学・代替医療にとどまらず、高度な生命哲学としても注目されています。
アーユルベーダの診察では、「脈診」という、脈拍を調べることで、その人の基本的な体調がわかるそうです。
私の脈を調べながら「あなた、沖縄に縁がありますね」と、先生がおもむろに言いました。
すぐに沖縄への旅行の予定を思い出した私は、「沖縄は近々行くのです」と伝えながらも、「はて?脈診で、どうしてそんなことがわかるのだろう?」と不思議に思っていると、しばらくしてから今度は、「久高島にまつわる女性だけの儀式と深い縁があります」と、言うのです。
驚いた私は、久高島に行く予定があることを伝えると、さらに驚くようなことを次々と話し始めました。その儀式は何かの理由で滞っており、復活することを多くの魂が望んでいることや、始めるためのヒントを教えてくれました。
彼女は、これまでまったく久高島に行ったこともないそうで、はっきりとした情報というよりも、何かイメージをチャネリングしているような感じでした。
その後興味をもった私は、すこしづつ久高島について調べ始めました。すると、彼女が告げたこととシンクロするような事がわかりはじめたのです。
それは、久高島に伝わる数々の祭祀の歴史でした。
中でも12年に一度の午年(うまどし)だけ執り行われる<イザイホー>という、女性だけが神となる特別な儀式が存在していたのです。
島に生まれた女性が担う神秘の役目と、それを敬い守り続けてきた古来の精神は、後継者を失ったことを期に、およそ35年以上も途絶えたままとなりました。
その貴重な祭りの復活を願う人々が、その後の取材を通して生まれた書籍や、写真集、ドキュメンタリー映画(久高オデッセイ=大重潤一郎監督作品)を生み出して来たという、もう一つの歴史があったことを知りました。
初めて訪れた久高島は噂に違わず不思議な場所でした。
エネルギースポットや、スピリチュアルな地にあまり興味の涌かなかった私ですが、今回ばかりはこの地の持つ不思議なエネルギーに圧倒されていたのです。
久高島で紹介された人は、ヒーラー(癒し手)をしている方で、島の歴史や興味深いお話を聞くことができました。そして、その人に連れられ、島のあちこちを歩き、神が降り立ったという浜へも行ってみました。
久高島は、沖縄本島から目と鼻の先にありながら、他の島とは違う植物や生物が生息しているそうです。たとえば、この地にある雑草の多くは薬草になることや、本島では怖れられているハブが久高にはいないことから、草むらを安心して歩けることも驚きでした。
薬草のお話から、数日前に彼の元に訪ねて来たアーユルベーダの専門家の人の話になりました。アーユルベーダといえば、島に来る前に診察をしてもらった人のことを思い出し、もしかしたら…と確かめてみると、その感は当たっていたのです。
彼女は、私の診察の後に、久高に訪れるきっかけが生まれ、そのヒーラーの人と出会ったのでした。
そして、あらためて、久高島がアーユルベーダの治療に使う特別な野草が豊富に自生する土地だったことを知ったそうです。私は、後に彼女と再会したときにその話を知り、あらゆる偶然の一致に驚ろきました。
久高島は、私がこれまで体験した中で、かつて無いほどゆっくりと時間が流れている空間でした。那覇から船に乗り島に近づくにつれ、だんだんと思考が止まって行くのを感じていました。
何かを考えるのが億劫になり、話す言葉ももつれてうまくしゃべれなくなるぐらい、不思議な感覚に浸っていたのです。
たった2日間の滞在中でしたが、沢山のメッセージを受け取りながら初めての久高参りを終えました。
私は、沖縄から帰ってきてしばらくの間、その体験を消化するのがやっとでしたが、ようやくあの島でワークショップをやってみようという気持が涌いてきました。
それは、なぜかわからないのですが、私に託された仕事のような気がしたからなのです。
今でも何故、沖縄なのか、そして久高島なのかは、私にもわかりません。
しかし、古く伝わる神話の中にある話のように、神が人間と共生しながら生きていた世界が過去に存在していたことを、もう一度私達現代人が思い出す時がやってきたからなのかもしれない、と自分なりに考えたりするのです。
沖縄に住む人達の多くが信じる、神との繋がりは、私がこれまで親しみを感じていた、ネイティブ・インディアンやアイヌの文化と重なるものが多いからなのかもしれません。
彼らはいにしえの時より、神が自然に宿ることを信じ、すべてのものに感謝をして過ごしていました。そこに、現代の文明が押し寄せたことで、平和が形を変えはじめたのです。
私達現代人は、何所に行こうとしてるのでしょうか?
文明の利器に囲まれ、忙しい毎日を過ごしながら、魂の声が聞こえなくなってしまった今だからこそ、もう一度立ち止まる必要を感じてしまうのです。
必ずしも昔の時代に遡り、古きを重んじて過ごしたほうが良いということではなく、私達が忘れてしまった大切な知恵をもう一度発掘し、新しい時代の中へと種を蒔くことが求められているのではないか?と思うのです。
古の知恵に触れることは、まるで自らの高い自己と出会うような響きがあります。
あの島でずっと聞こえていた耳鳴りは、その響きだったのかもしれない。
久高島は、そんな不思議な出来事さえも普通に信じられるような、神渡りの空気を漂わせた場所でした。
久高島でのワークショップをお楽しみに。