「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネ福音書 1:1〜1:5 )
来る2月の表現アートワークショップでは、<真言・ロゴス>というテーマで、コミュニケーションへの理解を深める機会をつくります。
ロゴスとは、ギリシア語で「ことば」「理性」を意味し、このロゴスを一部のキリスト教では、神の言葉を人格化した象徴(キリスト)として捉える考え方があるそうです。クリスチャンではない私は、はじめこの事が良く理解できずにいました。
精神世界に興味を持ち出した頃出会った本の多くは、思考についての問題を唱えるものばかり。
「言葉」が織りなす「思考」が、時に人間を悩ませる存在であり、エゴを生みだし、他者との隔たりを創るものとして扱われているような印象が強かったのです。
こんな偏った考えに至ったのは、未熟な自分の解釈が、当時の精神世界や東洋思想をゆがんだ形で捉えたからに過ぎません。
確かに、人間の思考は、物質的な世界では重力の影響もあり、ややネガティブに働く傾向があるそうです。これを宗教的に捉えると、性悪説という考えに繋がるのでしょうか?
最近では、言葉自体に善も悪もなく、言葉の持つ性質としては、混沌(無)から有に転じるためのアクションに過ぎないと思えるようになりました。
「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた“光あれ”。こうして、光があった」 (創世記1:1〜1:3 )
創世記の言葉を見ると、この無から有が現れた様子をイメージすることができます。もちろん、この世がこんな風に創造されたということを、信じている人もいない人も同じ世界で生きています。
そして、この世界でたった独りで生きたいと思う人がいないように、(時には一人になりたくなるときもありますけど…)誰もが、他者と共生して生きたいと願うのです。
しかし、人間にはそれぞれ価値観や考え方が異なることから、人類の歴史には、数え切れない対立や争いが生まれてきました。この矛盾を、統合に向かおうとしている現代に生きる私達は、どのように解きあかしていけるのでしょうか?
問題を解く鍵は、人との交流(コミュニケーション)にありそうです。
ここで、一つの傾向についてお話しましょう。
私は日頃、あまり泣いたりすることはないのですが、ワークショップの時など、みなさんのシェアを聞いていると泣けてくることが良くあります。
つまり、感情移入しているわけなのですが、これは人や猿などの霊長類に存在するミラーニューロンという神経細胞(俗に共感細胞ともいう)が自動的に働いているから起こるのだそうです。この細胞のおかげで人は他人の感情に共感したり共有したりすることが可能になります。
共感、共鳴している時の人同士は、鏡に映ったように、お互いの表情や動作が似てきます。これは、案外当人達は気づかないことだったりするのです。そんな細胞が興味深く働く機会を間近に体験したのは、昨年のダイアローグのワークショップの時でした。
対話のグループワークでは、多様な意見や感情が生まれますが、それを表面的に現すよりも、抑圧されるほうが多いようです。それは、暗に人が対立を避ける傾向があるからなのですが、そんな時、参加者の表情を見ていて、ふと気づくことがありました。
意見が食いちがっている時、誰もがしかめっ面になるかというとこれが違います。ある人は曖昧な表情をしているし、ある人は虚ろな目をして、ある人は不満気です。姿勢や仕草もそれぞれ異なります。自ずと皆違う動作を暗黙のうちに選択しているかのように…。
それが、一度共感が生まれると、次第に皆の表情や動作が似てくるのです。
これは、NLPやトラウマ治療の理論の中でも応用されている考え方です。対立する意見の当事者であっても、動作を真似たり、繰り返したりすることで、和解する気分へと変化したり、感情が和らいだりする傾向があるそうです。
コミュニケーションそのものは、インタラクティブ(相互的)に働く共振のようなものです。一方向の運動には波形が生まれないように、常にバランスを取り合う相互の存在が必要なのです。
人との交流が対立を生むこともあれば、対立が調和へと向かう時にも、コミュニケーションの作用が効果的に働く場合があるのです。
人は、誰かと意見が食い違う時、実は自分自身(本質的な自分)と食い違ってしまっているのです。それを気づかせてくれるのは、自分が関わる身近な人や社会です。
このように、私達は共鳴しあう誰かの存在を常に求めているのかもしれません。
それでは、話をもう一度聖書に戻してみましょう。
「初めに言葉があった」
これは、神が闇の中で「光」という言葉を発したときに光が現れたように、表現の根本について語っているように聞こえます。言葉はそれ自体が無から有への創造のプロセスなのです。つまり、私達が生まれたとき、誰もが「名前」という言葉を授かることで、社会の中の一個人として存在するこができます。
人間にとって、考え(言葉)は、自分自身を現すものの象徴だと言えるのです。つまり、人は言葉を発することで、自分の在り方やニーズを伝えようとします。私たちは言葉を選び、考え、それを表現します。それは、あたかも神が地上に世界を創るような作業と同じように。
そうやって創造された地上の様々な個に、ある時「善と悪」という概念が与えられたとき、永遠の分裂が始まりました。
対話は討論へ発展し、やがて、個と個という境界は、壁へと変化してしまったのです。
個と個が対立を生むとしたら、ワンネスはどうやったら実現するのでしょうか?
3・11後、日本は大きな変化を余儀なくされました。
多くの人がこのままではいけないという気持ちになったはずです。現在も、当時の問題は何も解決はされていないまま、風化していくのを見ているしかないのでしょうか…。
社会もさることながら、身近な人間関係も不明瞭なまま、時が過ぎていくものです。
そんな時、少しでも誰かと直に話す機会を持つことは、停滞したエネルギーが動き出すきっかけとなるはずです。人との葛藤も、自分の心の中の葛藤も、なぜか似ています。まずは、葛藤に光をあてて見ること。そこで面白いことに気づけるのです。
葛藤を越えるということは、一見むずかしそうですが、原理は至ってシンプルです。
ただ、自分の中にある混沌から一つの言葉をすくい上げること。そして、対立する言葉を振動させること。そこで心の宇宙にビッグバンが起こります。ねえ、ワクワクしませんか? 笑
何故、神は 初めに「闇」を創らず、「光」を創ったのでしょう?
共感する細胞(ミラーニューロン)の力を借りて、私達が本来持っている真言を導き出すことが出来るとしたら、私達はいったいどんな言葉を見つけるのでしょうか?
その答えは既にあなたの中にあります。なぜなら、それを知ったとき、誰もが必ず「なるほど…」と思うから。
ワークショップでは、これらの問いの答えを自分の中に見つけて行くプロセスとなります。私は、そんな一人一人の気づきが、未だ混沌としたこの地がやがて共生する社会へと成熟していく光となることを信じているのです。
【表現アートセラピー特別講座 in 東京 2014】
Deep Dialogue
真言〜ロゴス・言霊の共鳴と対話
【日 程】
A: 「言霊を使った対話の実践」を除く3日間
2014年2月8日(土)・9日(日)・11日(祝)
B: 「言霊を使った対話の実践」を含む4日間
2014年2月8日(土)・9日(日)・10日(月)・11日(祝)
C: 「言霊を使った対話の実践」のみ
2014年2月10日(月)
【受講料】A: 37,800円(税込・画材費込)
B: 50,400円(税込・画材費込)
C: 13,650円(税込・画材費込)
【場 所】代々木
【定 員】12名程度
【詳 細】詳しい内容はこちら