420

力尽くでなんでも解決できると思っている人は、やがて無力感を感じる出来事に出会うでしょう。人間の考える力なんて(エゴの思い込み)は、ちっぽけなものだからです。
源の自分は、そんなことを知っているので、力を抜くことを教えてくれます。力を抜いてリラックスするほうが何事も楽に、そして上手く行くからです。

419

あなたにとって奇蹟とは何ですか?
驚くようなラッキーな出来事を奇蹟と呼ぶなら、奇蹟は起こっていないように感じるでしょう。
しかし、考えてみてほしいのですが、人間が生まれて、生きていること以上に奇蹟的なことなどありません。もしかすると、あなたは奇蹟になれすぎて、気づかなくなっているのかもしれないのです。
「奇跡など、起こるものではない」と、思いながら毎日をぼんやり過ごしていると、その観念(奇蹟は起こらない)が潜在意識の中で働いてしまうので、奇蹟に気づくことが出来ずにいるのかもしれません。もし、あなたが、今ここに生きている奇蹟、愛する人と出会っている事の奇蹟に気づき、感謝することが出来たら、もっと沢山の奇蹟と出会える(気づける)ようになるでしょう。

418

他者に対して壁を作り、自分にも壁を作っていたら、どうやって本当の自分を知ることができるでしょう?自分の殻に閉じこもり、外界の扉をしめていると、自分の在りようを見ることはありません。
人は、他者と向き合うことで、自分を知ることとなり、他者と繋がることで、完全な自分を知るのです。

417

知識をどんなに多く持っていても、それだけでは、気づきの役に立つことはないでしょう。知識とは、パズルのピース(断片)にすぎず、それを集めるだけでは、全体像を見ることはできないからです。

知識をつなぎ合わせ、全体の絵を見ることが、「理解する」「知る」・・・「気づく」ということなのです。

416

人に「解って欲しい」と渇望する人は、自分のことを理解していません。もしも、自分自身のことを理解できていたら、人にそれを求めなくなるからです。そのように自分を理解していない人の話を聞いて、理解するのは、容易ではないかもしれません。ですが、相手を理解をしようと努力する時、間違いなく自分自身への理解が深まります。

人を理解する作業というのは、自分を理解する助けになるのです。
つまり、「解ってあげる」のではなく、自分のために相手が居てくれるのです。

415

理解とは一方的に解釈することではなく(解ったつもりになることではなく)、意味を共有するための確認作業によって、辿り着く境地のことです。