最初のうちは、とにかくレクチャーの内容を理解するのが精一杯でした。
「クオドラント(四象限)???」「モジュール(基本単位)????」
聞き慣れない言葉と概念、初めて出会う考え方に混乱し、「アトリエワイエスのWSにしては、左脳ばかり使うなあ・・・」と、正直に言ってすごく疲れる時もあったし、いつものワークのような、開放感が感じられないときもありました。
しかし、それでも必死で理論の構造や内容をメモし、絵を描いたり、箱を作ったり、瞑想したり、仲間とシェアしたり、もがきつつ、取り組んでいるうちに、
なんとなく、もやもやと、今学んでいることの正体が感覚的に伝わってきました。
それは、「自分を観る目を育てる」ということ・・・
インテグラルのWSでは、この「自分を観る」という作業を様々な視点から繰り返し行います。
マインド(思考・感情)、シャドウ(潜在意識・切り離した自分自身)、ボディ(エネルギー体としての身体・肉体)、スピリット(魂)と、それぞれの観点から、何度も何度も、自分という存在を見つめました。
すると、不思議なことが起こってきました。
半年に渡る講座期間中、ひと月に一回のワークとワークの間に、必ず日常生活が挟まります。
その日常の中で、少しずつ変化が起こり始めたのです。
かつての私にとって、世界は「いかに他者とうまくやるかというミッションを遂行する場」でした。
だから、何か困ったことが起こったときは、「うまくやれなかった自分を責める」ばかりだったのですが、講座が始まってしばらくした頃、コミュニケーションがうまくいかず、ネガティブな気分が続いてどうしようもない状態になったとき、突然、まるで天から降ってくるように「もう人の思惑は気にせずに、少しでも気分が楽になる方を選ぶ、と決めよう」と思ったのです。
それは、「自分を中心に考える」=「自分を生きる」という、当たり前のようでいて、私にとっては、全く未知の考え方でした。
その時を境に、自分自身、そして世界を観る目が、徐々に変わっていきました。
ワークの中で行った、ハイアーセルフとつながる瞑想も大きな助けになりました。
自分の視点(インテグラル理論では「視座」といいます)を高い位置に持ってきたとき、それまで全く見えなかった自分の全体像が
見えてきたのです。
まるで、子供が急激に成長して、ぐーっと背が高くなったような感じです。
自分の中に、騒々しい思考や揺れ動く感情だけでなく、魂(スピリット)としての存在があること、それらの全てが、肉体という重さのある存在と共にあるからこそ、この世界で、「生きて」いること。
自分の中で普段「沈黙している部分」が、私という存在を支えていること。
講座の最終回、「私は私である」というアファメーション(宣言)と共に一枚のコラージュを作りました。
コラージュを前にして、その宣言を言おうとしましたが、最初は、「だけど・・・」「でも・・・」といつもおなじみの、自分を責める気持ちや不安が湧いてきてしまい、頼りない小さな声でしか、言えませんでした。
けれど、家に持ち帰って、自分自身に何度も言って聞かせていくうち、少しずつ、静かな「何か」が育つのを、確かに感じました。
そして、その言葉が、まぎれもない本心から言えたとき、胸に温かい温泉が湧いてくるような、それが中心から外に向かって広がっていくような、本当に、心から安心できる感覚が、私の中に生まれました。
こんな「当たり前」のことが、言えなかった自分、けれど、自分と向かい合うことをあきらめず、よろよろと歩き続け、やっと今、この言葉を言えるようになった自分、どちらも愛おしく思います。
そして、自分のみならず、同じ時を生きている人すべてが、たとえ今バランスを崩したり、迷いの中にいるとしても、ひたすら「生きる」同士なのだ、と感じます。
見守ってくれた仲間、共に旅した仲間への愛と感謝とともに。
(40代女性 アトリエワイエスWS参加歴:4年)
■ワークショップデータ