この秋、軽井沢で「禅〜Be here now」というテーマのワークショップを開きました。
私と禅との出会いは、私がスピリチュアルな世界に興味を持つきっかけとなった体験でした。
それは約四半世紀前(25年)にさかのぼります。
当時、まだ会社勤めでデザインや絵を描くことに明け暮れていたころ、偶然見かけたNHKのドキュメンタリーが強く印象に残ったことが始まりでした。
番組の中で紹介されたのは、臨済宗の禅寺で若い雲水(修行僧)が、張り詰めた空気の中で自己と向き合う歳月を追ったものでした。
その静寂な美しさになぜかとても心が惹かれ、それ以来禅についての本や文献を読みふけり、福井にある永平寺まで見学に行くほど夢中になりました。
禅とは在るがままを受け入れる様を表しています。
今回、ワークショップを開催するために、この禅についておさらいをしてみて改めて思いました。
スピリチュアルな世界と、アートセラピー、心理学の世界の根底には禅と同じエネルギーが流れているということ。
在るがままを受け入れるということ、それは「今、ここ」に在ることがすべてです。
私たちがいかに、今ここから意識を浮遊させ生きている存在なのかを、改めて感じることを目的にワークすることができました。
静かに自分の内面を見つめる瞑想から、呼吸を見つめ、ただ在るがままを観る、ヴィパッサナー瞑想。
そして、自分自身の行為を見つめる瞑想など、3日間を通して自分を見つめる時間をたっぷりと体験することができました。
瞑想とアートワークを組み合わせたユニークな試みは最終日、参加者の中で起こった様々な変化となって現れました。
光を見つめる人は光を体験し、闇を見つめるひとは闇を体験します。
それは その人そのものを表すのではなく、その人の存在が何にフォーカスしているか?ということなのです。 人間の本質は永遠に変わりません。
本質を覆い尽くす色や影に心を捕らわれない生き方が出来たとき、人間は悟ることが出来るのかもしれません。
「禅」ワークショップは私自身が探求して行きたい表現アートの根底に流れる本質が、ずっとこれまで探し続けてきた真理と結びついていたことを教えてくれました。
小さな支流がやがてこうして大きな河となり、いつか大海へと流れるのでしょう。
その日を楽しみにしながら、今ここに、在るがままの自分と共に生きたいと思います。