「幸せって何だろう?」誰でも一度は頭をめぐらせる問いでしょう。
しかし、その答えを見つけることはそう簡単ではなさそうです。まして、すべての人に共通する答えなどあるはずもありません。
病気になったときにはじめて健康であることの大切さを味わうように、幸せで在る時にはそれに気づくことは無いのではないかしら?
幸せはそれが去ったときにはじめて「ああ、あれは幸せだったのだ」と気づくもののような気がします。(記憶は、今ここで体験している感覚とは異なり、思い出している時の状態や情緒がそのイメージを彩るようなのです。)
ならば人間は幸せとは縁遠い存在なのでしょうか…。
少し先にある何かを追い求め、私達は一時も在るがままを楽しむことはありません。楽しめるとしたら、そこには特別な意味づけが必要になってくるのです。多くの幸せがラベル付けされて、記憶の中に転がっています。そして、それに似た瞬間を追い求めるのです。
何かを手に入れたり、叶ったりする瞬間はそれこそ瞬く間に過ぎ去り、喜びや満たされた感覚は麻痺して行くのに…。
多くの人が今在る当たり前の瞬間について無関心なのかもしれません。
物質世界の中でモノや状況(対象)を手にする喜びとは、それを手にした瞬間がピークで、だんだんとその喜びは薄れてきてしまうか、もしくは失う恐れに変化してきます。つまり、対象を求める幸せは幻想に過ぎません。
そう、たいていの幸せは幻なのです。
幻は移ろうもの。
勲章も、思い出も、心の傷も、歴史も。
何も幸せを構成することに関わりのないものばかり。
そう考えると、幸せは何所にあるのか?どうしたらつかめるのか?と、途方に暮れないでください。 幸せはあの「青い鳥」の物語が教えてくれているように、一番身近な場所、「いま、ここ」にあるのです。
たとえば、毎朝目にするいつもとかわらぬ景色や、家族と交わす日常のやりとり、積み上げた本にうっすらとかぶる埃に。 今ここにいる瞬間に気づけるようになったのは、つかむことではなく、手放してリラックスした状態が一番楽なのだと気づけるからです。
これって、別にお手軽なもので満足できたら簡単、という意味ではありません。
今、目の前にあるものはモノにしろ状況にしろ、過去に自分が望んだモノの象徴だから。それに満足しなければ、それに感謝をしなければ、永遠に幸せなど実感できるはずはありません。
つまり、人生の価値や幸せとは、「いかに多くのものを手放せたか?」「何かを得るのではなく、どれだけのものを手放せたか。」
もっと正確に言えば、どれだけのものを良い気分で通り過ぎて来たか?
これは、「手放せるのは、満足したという印なのだ」ということをリリースすることを続けているうち、気づいた答えでした。すると、解ったのは、なんでも身近にある「コンビニエンスな幸せ」これは、お手軽という軽いイメージでもなく、とてもグラウンディングしている安定した幸せ感なのです。
軽井沢での今年最後のワークは、マインドデトックスWSの完結編とも言える、プライマリーコントロールというアドバンスプログラムでした。
日々、脳のデスクトップに山積みになった様々な不要書類を片付ける作業にも似たリリーステクニック。片付ける物は、感情や理屈など。
そして、幸せを実感するために、できる最良の行動はただ決めること。
そう、この「ただ決めること」が大切なのですが、皆やっていないことだったりします。心を決めることは「決心」と言いますが、決心ってなかなか出来ません。
相当な思い入れがないと、心は決まらないものだから。
しかし、決心できないから、心は揺れるしそれが居心地悪いのです。
心が揺れるから、決心できないのか、決心していないから心が揺れるのか、もうなんだか解らなくなって来てしまいますね。
しかし、そうむきにならずにこんな風に考えてみたらどうでしょう?
揺れたら、戻る。
決心したとたんに、心が揺れる。
しかし、揺れたとたん、その揺れを手放し、中心に戻る。
そう考えると、揺れることも決心もそんなに難しくなさそうです。
そんな振り子のような心を落ち着かせ、しっかりとグラウンディングさせるワークがプライマリーコントロールのプログラムです。
エクササイズ中心のこのワークをこなす内に、皆理屈ではなく心に決めたことを「今、ここ」で実感することができる瞬間を手にしていることに気づきました。
それが幸せの感覚そのものに似ているのです。
「なんだ、幸せは条件ではなく、追い求めるものではなく、今自分が選ぶことをしたとたんに現れるんだ!」
幸せとは、ただ今心に決めて、感じるだけで良いものだったのですね。
ただ、決心していなかっただけ。
日々、幸せが現れるのを心待ちにしている時間そのものが、実は幸せだったりするのです。
健康のために歩くのではなく、歩くことを楽しむこと。
成功を追い求めるのではなく、成功に向かって行動することを楽しむこと。
食べ物が、お腹に入ったときには何も感じなくなるように、味わう瞬間こそが食事の醍醐味なのです。
その昔、幸せは追い求めるもの、つかむモノだと本気で信じていた頃のこと。せっかくの食事の最中に、次に食べるもののことを心配していたことを思い出して、苦笑してしまいます。
ジグゾーパズルは、完成するよりも作っている課程が楽しみなのにね。
幸せな思い出となっていく美しい記憶の一コマ。
希望の未来を象るパズルの断片。
それに意識を向けることに力を注いでみませんか?
すべての期待と条件を手放して、たった今、幸せでいようと決めること。
それが幸せになるための秘訣だと思うのです。
いま私は、ワークの現場で夢中に絵を描き自分と向き合う人々と過ごす時間を大切にしています。
彼らを見つめる時間は何より幸福と感じることができる瞬間だからかもしれません。傷みを見守ることは、決して楽しい作業ではないのですが、何か生きる瞬間を見届けている実感がある。そして見つめる先に存在する彼らの鼓動も同じく今を生きている証として私の記憶の中に刻まれていきます。
そんな時、心が静かに動き、鼓動を感じ、生きているのだと納得できるのです。
人間が真剣に今に居る姿ほど美しいものはないと、この仕事を通して気づくことができました。
そんな幸せを感じる事ができるようになったのは、通り過ぎる今という瞬間を生きていることに気づけるようになったからでしょうか…。