参加者の声【インテグラルアートセラピー集中講座 2016】-2

私は人とコミュニケーションがとれない、みんなみたいに共感ができない、人としてどこかおかしいんだ、ばれないようにしなくちゃいけない。
ものごころついたころから、ずっとそう思ってきました。
一方でワイエスでは、どうして人の中にいても自然体でいられる感じがするのだろうと思っていました。

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等身大のBodyの絵

ワーク3日目、3日間を通しての今のイメージを四象限(I/We/It/Its空間)に分けて描くという課題のとき、私は再受講であるにもかかわらず、インテグラルの理論を理解できていないのだと、描いたイメージを説明するときに感じ、混乱してしまいました。

すると他の人が説明をしているとき、話を聞こうとしているのだけれど、どうしても話が入ってこない。
だから内容も分からないし、共感もできない。まるで在るはずなのに存在していないような、幽霊にでもなった気分でした。
すると、だんだん頭もぼーっとしてきて、疲れてきて、しばらくなかった腰の痛みまで出てきて、座っているのも苦痛になってきました。

そこまでいって、はたと、あれ、これって私、今I空間に閉じこもってる(自分の思考や感情と一体になっている)んじゃないの?と思いました。
そう気づいたとき話が終わり、聞いていて感じたことを聞かれたので、こんなこと言ったら失礼だと思いながらも、ごまかしようもないので正直に、今の自分の状況を言葉で伝えました。

私は話を聞くことができなかったけれど、否定も非難もされず、ただ感じたことのやりとりが始まりました。そのうちに自分の気持ちがどんどん軽くなって、開放的になって、さっきまで疲労感とネガティブな感覚と痛みに覆われていたはずなのに、頭がすっかりクリアになって、背筋が伸びて、腰の痛みもすーっと引いて、笑いながら生き生きと喋る私にみるみると変わっていきました。

あー、I空間(そして体の痛みと一体になっているIt空間)からWe空間(共有スペース)に出るって、こういうことなんだ!と体感した瞬間でした。

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青空の下で講義

空き時間に改めて課題にとりくんでみたとき、We空間にいったら、誰かが必ずきてくれるという信頼感が自分の中にあって、だからI空間にいても、完全に自分の殻に閉じこもり続けるのではなく、We空間へのドアはどこか安心していつも開かれているのだと思いました。
その風通しのよさは、自然に囲まれ、美しく整えられたくつろげるワイエスの空間(Its空間)からもつながってきているように感じました。

ワークでの学びを日常に生かしていけるよう、最終日からつくりあげていったプラクティス帖兼応援ブックには、ワークを通して気づいたことと、自分の中から立ち上がってきた、負担なく気持ちよくできることのプラクティスがリストアップされていきました。
日々リストに取り組んでいく中で、プラクティスの内容は、それが具体的であればあるほど継続できるものなんだと感じました。

今まで理想や、ねばならないという気持ちから頭で考えた目標は、いつも挫折して続くことはなかった。
でも、こうしたい。だって、そのほうが気持ちいいから!そういう思いから立ち上がってきた、こうしてみよう!リストは、実行できるように、より具体的なものに変えてみたり、少しずつバージョンアップすることにつながっています。

また四象限に分けてリストアップすることで、自分にとっての弱い分野にも気づかざるを得ず、何かできることはないかとアイディアを探すようにもなりました。
そうして新たな習慣が少しずつスタートしています。
それは、誰からの承認も必要としませんでした。
掃除をして気づかれなくても、お礼を言われなくても、自分だけがなぜしなきゃならないのかとも、思わなくなりました。
自分がそうしたいからしている。その方が気持ちいいから。

そして、前より体に優しくなった。
無理をしなくなった。
自分が楽であれるように自然と心がけるようになった。
自分を体を大切にしたいと思った。
ふと、くつろげる瞬間があるようになった。
それが、すごくきもちがいい。なんとなく幸せな気持ちになる。
自分の中から立ち上がってくることは、信じられる。
そう思った。

自分がどうしたいのか、どう生きたいのか、
ほんの少しずつだけれど、立ち上ってくるようになった。
「自分と向き合うこと。心地よくあること。心地よくあれるために行動すること。遊ぶこと。」
これが私にとっての今の仕事なのだと思うようになりました。

[45才 女性]

■ワークショップデータ