今日は2009年最後の新月です。
来年への抱負を込めて、新しい講座の情報を今日という日に更新することにしました。興味にあるかたはぜひ、ワークショップ情報をご覧になってください。
そして、今年も終わりを告げるこの時期に、セラピスト養成講座のクラスを海のアトリエで開くことができました。
私はこれまで、講座やワークショップという時間の中で、訪ねてくださる皆さんに、私自身の体験を伝えるという機会に恵まれて来ました。
セラピーについて学んでいただく講座の中では、その歴史や理論を把握してもらうことよりも、なによりセラピストとしての意識の持ち方について、お話することが多いように思います。
そもそも、セラピストやカウンセラーという、援助職とは、どのような人なのかということを、私自身、この仕事に就いて今まで、長く考えつづけてきました。
そして、いつもこの答えに最後行き着きます。援助とは、相手の力を信じること。見いだすこと。援助する人が、相手を担ぐのではなく、相手を依存させるのでもなく、癒しを与えるのでもありません。あくまでも、相手の傍らに存在し、在りのままの姿を受け入れるという作業を引き受けます。
セラピストのイメージとして、立派な人物像を描く人が多いかもしれません。しかし、現実は少し違います。悩み、傷つく人の側に居続け、支えるその行為そのものは、在る意味立派な印象を与えるかもしれませんが、実際は木偶の坊(でくのぼう)のようにただ、佇むだけという無力感を感じる時があるほど人間の闇と寄り添うことは、難しいものなのです。
私達援助者にできることは、一緒に居ることだけなのかもしれません。援助を求める人と、援助する人は、常に同じ土壌にいるのです。どちらが偉くも、劣っているわけでもありません。同じ、目線で、同じ土壌に居なければ、一緒に歩むこともかないません。
ゴールは、援助する相手が自分の力で歩き出すのを見届けること。セラピストやカウンセラーに適する資質を一つだけ問われるとしたら、それは忍耐力かもしれません。もう一つだけ付け加えるとしたら、観察力でしょうか…。
しかし、私達セラピスト自身、愛とは何か?を知りたくて、さまよっている一つの魂にすぎません。こうして、人との関わりのなかで、愛とは何かを思い出している渦中にいる者同志なのです。
援助を成すためのテクニックは様々あります。それも大切な道具でしょう。しかし、道具を使う人の意識で、その道具が役立つかどうかが、問われます。
立派な人間が、人を導けるのでもなく、力のある人間が、弱さを助けるのではないのです。援助者自身が、自分の弱さという闇を抜けて、自分自身の光を見いだし、その同じ光を、相手の中に見いだすことが援助なのだと思います。
私もその自分の闇を見つめることに多くの時間を費やしてきました。
未だそのプロセスの中に居ながら、こうして日々、人と関わる仕事に就いています。
講座の中で、私はよくそんな自分の闇についてお話します。
それは、私自身が迷い、失敗して来た中で見つけたアイデアが今生かされていると思えるからです。 ここで学ぶ皆さんは、そんな私の本質にうろたえることなく(苦笑)数ある失敗談を肥やしとしてくれることに感謝する気持ちでいっぱいになります。私が誰よりも、ただの人間であるということが、頼って学んでくれるみなさんの学びたい理由の一つなのだと信じられるのです。
私はこうして自分で居て良いと思えるようになり、年々気持が楽になって来ています。
そして、セラピーを学ぶすべての人へ、自分自身を救うことをまず、最優先にすることを願います。ここで学んだアイデアを活かし、自分の荷物を下ろしてください。自分自身をサポートした体験が、人に手をさしのべる勇気となります。
自らが、背負っている重荷を軽くするために、私達援助者はこの役割を引き受けたのでしょう。
スピリチュアルの世界に、ライトワーカーという呼び名があります。
ライトワーカーとは、光の担い手であり、援助する人達を指す言葉。
Light~光と軽さは同じ単語ですが、このライトワーカーのライトは軽くする仕事、光の仕事という意味を持っています。
empower〜力づけるという言葉もありますが、軽くするという意味では、enlight(教える、悟りを啓発する)という言葉がよく当てはまります。
ライトワーカー達は、自分自身の中の闇を見つめ、そこに光をあてる勇気が、パワフルな叡智となり、自らそして他を照らす原動力になるのだということを知っている人達のことです。
小さい人間が、大きい人を助けるのだと、私がずっと信じていることなのです。